「そんなことは大したことじゃない」母の言葉がおまじないに
私はセント・ジョセフという私立の学校に通っていました。下校時間に雨が降っていると、ほとんどの子のところにお母さんや誰かが傘を持ってお迎えにくるのですが、私にはお迎えがいないので、いつもびしょびしょになって帰っていました。
びしょびしょの状態では普段通学で使うバスには乗れないし、見られたら恥ずかしいので、人が見ないような松林などを通って帰っていましたが、どうして迎えに来てくれないんだろうとか、迎えに来てほしいとかは、一度も思ったことがありませんでした。母が忙しいのはよく分かっていたから、そんなこと全然大したことじゃないと思っていました。濡れることも、お迎えがいないことも平気でした。
大人になってから時々そのことを思い出して、あれで良かったんだなとすごく思います。母が忙しかったことで、私は他の人とは違う生活を送っていたのです。
ちょっとずつそういう体験を積み重ねて、人と違うってことは何においても「大したことじゃない」「自分は自分」と考える良い訓練になったなあと思います。だからこそNYに行こうって思えたのかもしれないと思います。貧しい生活だった時も、みじめな気持ちにならなかったのは、このおかげかもしれません。これがずっと続くわけじゃない、といつも思っていたし、漠然とした、大丈夫、という感覚が自分の中にありました。
うちの母はいつもにこにこ元気で、私が何を愚痴っても「そんなことは大したことじゃない」と言う人でした。その言葉が私にとっていつもおまじないのようでした。本当にそれに何百遍も救われて、「そうだな、大丈夫」って自分に言い聞かせることができました。生きてさえいれば、別に何が起きたって大丈夫、という感覚は、これは母が旧満州で厳しい生活を送ってきたから身についたものだったはずで、母はいつも本当に「そんなことは大したことじゃない、大丈夫」と言う人でした。
(次回は9月14日号掲載)
かわの・さおり 1982年に和包丁や食器などのキッチンウエアを取り扱う光琳を設立。2006年米国レストラン関連業界に貢献することを目的に五絆(ゴハン)財団を設立。07年3月国連でNation To Nation NetworkのLeadership Awardを受賞。米国に住む日本人を代表する事業家として活躍の場を広げている。
(2019年9月7日号掲載)