代理出産18
「米国最先端臨床現場から」海外治療コンサルティングリポート 第90回
代理出産医療コンサルタントである弊社にいただくお問い合わせ件数でトップ5に入る代理出産について説明しています。2013年のインド代理出産の実質閉鎖後、生殖医療に関する法的規制がなかったタイに代理出産の地が移りました。14年5月にプラユット陸軍総司令官(Prayuth Chan-ocha)の指揮によるクーデターによりタイが軍(Junta)により支配し、代理出産の取り締まりに着手、7月24日にバンコクの12の生殖医療クリニックの踏み込み調査を指令し、この約1週間後に、ダウン症のグラミーちゃん問題と邦人の代理出産からの多数の乳幼児が生まれていたことが発覚し、この二つの大事件が、あたかもタイでの代理出産や生殖医療を正式に禁止したかのように世間では言われていますが、タイ軍政府による商業代理母の取り締まりは、この二つの事件以前に、始まっていた、ということを前回までにお伝えしました。
以前も説明したように、プラユット陸軍総司令官によるこの踏み込み調査は、何百人もの中国人が目指す性別選択の中心地になっていることや商業代理出産を取り締まるためでしたが、筆者にもたらされたインサイダーからの情報によると、この踏み込み調査の時点では、クリニック側は、軍に対し、商業代理母、そして性別選択の着床前診断は今後行わないことを約束して、いったん、鎮圧したそうです。ここで、商業代理母、そして性別選択の着床前診断を行っていた大手クリニックらは当該関連治療サービスの新規ケースを完全停止し、7月末までに、患者、依頼者にこの旨を伝える動きがありました。
しかし、8月に入り、オーストラリアの代理母依頼者がダウン症の赤ちゃんをタイへ置いて帰国する事件のニュース、そして邦人の多数の代理母出産からの赤ちゃんがいることを通報され発覚したとのケースが勃発しました。邦人の連続の代理出産に関連したクリニックであったALL IVFが7月24日の一斉手入れ後、再度、軍の押収手入が入り、明らかに商業代理母サービスを生殖医療クリニックで行っていた証拠が世界に報道され、違反が指摘され、閉鎖を余儀なくされました。
13年のインド閉鎖で新しい地をクライアントのために探していた秋に、さくらライフセイブアソシエイツ代表である筆者が、このALL IVFのオーナーであるピシット医師と電話会議を行いました。その時の会話が、タイ進出を引き留めた理由であったことを思い出されました。
(次回は6月第1週号掲載)
【執筆者】清水直子(しみず なおこ) 学習院大学法学部卒業、コロンビア大学で数学を学び、ニューヨーク大学スターンスクールオブビジネスでMBAを取得。マウントサイナイ医科大学短期医学スクール修了。メリルリンチの株式部で活躍し、2003年さくらライフセイブ・アソシエイツを設立。