〈コラム〉叱られる幸せ

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第100回

大学院時代の亡き恩師を思い出すと、叱られた場面ばかりが浮かんでくる。中国の古典を読むゼミで妙な訓読をすると、「なんだそれは!」と叱られる。意味を問われてトンチンカンなことを言おうものなら、どやしつけられた。

その恩師は「昔はもっときびしかったぞ」と言っておられたが、本当だろう。世の中は次第に甘くなる。近頃の大学では、学生を陰で「お客さん」と呼び、教官が学生の機嫌をとったりするらしい。厳しく叱ることなど、めったにないのではないか。

筆者の所属する倫理研究所を創設した教育者の丸山敏雄の弟子に、鳥居武二(とりい・たけじ)という忠実な男がいた。昭和の大戦が終わってまだ間もない頃、50歳を過ぎて九州の大分から上京した鳥居は、敏雄の住むみすぼらしい家を訪れた。なんと台所のかまどの所が雨風に吹きさらしとなっている。鳥居の提案で、屋根をトタン板でふきかえることになった。

作業がはじまると、鳥居は敏雄から指示されることにいちいち、「先生、それはこちらからこうした方がよいですよ」と自分の意見を口にする。すると、「こうしなさいといったら、ハイと聞くのです」と雷が落ちた。

あるとき、ノコギリを使って、注意深く元の所にしまったら、「ノコギリを使ったらすぐに油布でふいてから、しまわねばいけない」と叱られた。

またあるとき部屋の掃除をしていると、「そんなホウキの使いかたではだめだ。ホウキはこうして使うものだ」と、みずからホウキを手にして、畳の目に沿って掃くよう教えた。いい歳をした自分にどうして厳しいのか…? なんとその厳しさは日を追って増していく。

ある朝、他の弟子たちも居合わせる部屋で敏雄の前にすわり、「お早うございます」と挨拶をした。すると返事がない。頭をあげると、敏雄はじっと鳥居の顔を見つめ、「だめだ」と厳しく言う。どこがだめなのかと思いつつ、改めて「お早うございます」とやり直すと、また「だめだ」と言われる。同じやりとりが7回、8回に及んだ。

低い声でもだめ、朗らかな声を出してもだめ…。とうとう、もう何も思わず、そのままの心で「お早うございます」と言うと、びっくりするような大声で、「よしっ」と許された。

丸山敏雄は、愛弟子の心境を練るよう、厳しく指導したのである。肝心なのは、我意をさしはさまず、ただスナオに受け容れ、あるいは声に出すことだった。

人の居る前で叱るのはいけないと言われるが、真に教育しようとするときは、チャンスをとらえて妥協なく行わねば効果のない場合もある。スナオさは、叱る側にも求められるのだ。

叱りは、怒りではない。叱りには、愛情がある。相手をよくしたい、成長させたいという思いが、叱る言葉には宿っている。

叱られることの有り難さは、後になってしみじみわかるものだ。あの時は叱られて幸せだった、と。この幸福感を、若者たちから奪ってはいけない。

(次回は8月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

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