〈コラム〉歓喜の歌声を響かせて

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第105回

昨年の11月14日の夕刻から15日の未明にかけて、天皇にとって一世一度の大嘗祭(大嘗宮の儀)が挙行された。この儀式を経ることにより、徳仁天皇は名実ともに真の天皇になられた。

大嘗祭の献納品で不可欠なのが、「麁服(あらたえ)」という麻の織物である。古くから、「阿波忌部(あわいんべ)氏」の直系である徳島県の三木家のみが調進を許されてきた。
忌部は「斎部」とも書き、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祖とする古代氏族で、もっぱら朝廷における祭祀を担っていた。天太玉命は天照大神の岩戸隠れの神話や天孫降臨神話にも登場する。「忌」とは不吉な文字のように見えるが、その逆で、「穢(けがれ)を避けて身を清め慎む」こと、祓い清められたことを意味する。

一昨年6月に徳島県の山中にある三木家を訪れ、徳島市内に鎮座する忌部神社にも詣でた。その折、近くの鳴門市にドイツ人の俘虜収容所の跡地があると知って訪ねた。第1次世界大戦で、ドイツの租借地だった青島に駐留し、日本軍の俘虜となったドイツ兵4715名のうち約1000名が、そこに収容されたのである。
怯えていた俘虜たちは、予想外にも愛国の勇士と讃えられた。好ましい環境で暮らし、町の人々とも交わり、「ドイツさん」と親しみをこめて呼ばれた。なんと日本で最初にベートーヴェンの「第九」全曲が演奏されたのがその収容所だった。約100年前の1918(大正7年)6月のことだ。もちろん「歓喜の歌」も響き渡った。

年末になると日本の各地で「第九」が演奏される。もともとは第1次大戦が終わった後、名門のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日に「第九」を演奏し続けてきたという。日本では第2次大戦後の1947年に、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月に3日連続の「第九コンサート」を行って絶賛され、「年末には〈第九〉を」が習慣になっていった。筆者は中学生の頃に習った文部省唱歌「よろこびの歌」が忘れられない。

♪晴れたる青空 ただよう雲よ
小鳥は歌えり 林に森に
こころはほがらか よろこびみちて
見かわす われらの明るき笑顔

シラーの原作の詩にも「喜びをもとう、太陽が華やかな空を飛ぶように」という意味の文言がある。力強いベートーヴェンの旋律に乗って響く大合唱は、新しい年を迎えるに当たってまことにふさわしい。
そして迎えた今年は、どんな年になるのか。大変動の時代であるゆえ、予期しないこと、想定外のことが多発するのは変わりないであろう。21世紀になってから、世界のほとんどの国が運営に苦しんでいる。天変地変も気になる。
しかしどんな状況になろうと、希望を失わずにいたい。日々生きられることに心から感謝し、家族や朋友と「フロイデ(歓喜)」を交わし合えるようにしたい。
オリンピックが開催される今年は、楽聖ベートーヴェンの生誕250年でもある。

(次回は1月11日号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

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