〈コラム〉危機を煽るべからず

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第108回

16世紀の終わり頃に顕微鏡が、さらに望遠鏡が発明されてから、自然科学は飛躍的に発達した。以来、自然界の謎が次々に解明されてきたが、まだほんの数パーセントしか分かっていないという。

細菌学者の野口英世も、顕微鏡を駆使した一人である。いくつもの論文で成果を発表し、3度もノーベル賞の候補になる栄光に輝いた。1927年には黄熱病の研究のためアフリカへ赴き、自らが感染して51歳の生涯を閉じる。

この病は蚊によって媒介される黄熱ウイルスが病原体である。今でも罹患した場合の特効薬はない。筆者はかつて東アフリカに渡航したとき、黄熱ワクチンの予防接種を受け、それを証明するイエローカードを提出させられた覚えがある。

野口英世の時代に、ウイルスの存在はまだよくわかっていなかった。皮肉にも英世の死後すぐに、光学顕微鏡に代わって電子顕微鏡が登場し、ウイルス病の研究方法が編み出される。ウイルスは細胞膜を持たず、自己増殖もできないけれども、遺伝子を有している。生物でも非生物でもない(ある)その正体は謎が多い。

中国で発生した新型コロナウイルスによる感染症が世界に拡散した。これほど甚大な影響を及ぼす事態が起こるなどと、今年の年明けに誰が予測しただろう。日本では2月中旬以降、感染者の増加よりも、集会やイベントなどの自粛による2次災害が深刻になった。それを「新型コロナ不況」と呼ぶ人もいる。

原発事故や金融危機など、めったに起こらないものの、起きたときの衝撃が甚大な出来事を、アメリカのサイコスリラー映画のタイトルから採って「ブラック・スワン」という。未知の領域では、客観的なリスク評価が困難なために、黒い白鳥が発生しやすい。集会やイベントで新型コロナの感染者と濃厚接触する確率は、ほぼゼロに近いであろう。けれども主催者は「万が一に備えて」と開催を自粛し、それが一気に連鎖していく。

未知のウイルスに対して、恐怖心を抱くのは当然である。しかし冬場にインフルエンザが大流行しても、怖がって家に閉じこもる人は少ない。インフルエンザのウイルスは毎年のタイプがあって、2018年の日本の死者の数は3300名以上にのぼった。しかしパニックは起きていない。今年のアメリカではインフルエンザが猛威をふるったが、マスクを着ける人はほとんどいないという。なのに「新型」の2文字に心が奪われ、恐怖がかきたてられて、過剰に反応してしまう。

これから感染がどうなるのか、この記事を書いている段階ではよくわからない。爆発的に拡大するリスクもないわけではないが、強毒性に変異する確率は低いという。たとえ感染しても、発症しない人は大勢いる。いたずらに危機を煽ってはならない。マスコミは過剰な報道を控えてほしいし、過激なネット情報には注意したい。

事の真相を見極め、バランスのとれた対応をしてこそ、危機は回避できる。しかしそれがいかに困難であるかを、今回の新型ウイルス感染から改めて教えられた。

(次回は4月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

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