倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第115回
今年の7月30日に96歳で逝去された外山滋比古先生は、高名な英文学者で評論家、そしてエッセイストでもあった。筆者の同窓の大先輩に当たる。1983年の著書『思考の整理学』は、文庫版が124刷、253万部に達したという。
あるとき、たまたまNHKのニュース番組で、外山先生の「元気の秘訣」を知った。それは毎朝のウォーキングである。午前5時46分発の地下鉄に乗って、九段下駅で下車。北の丸公園でいつもの仲間とラジオ体操をしてから、皇居を1周。そのための定期券まで購入されていた。
5年前の著書『50代から始める知的生活術』(大和書房)によると、老後を意識する少し前から、そのウォーキングを始められたという。この本のサブタイトルには「『人生二毛作』の生き方」とある。
“人生は二毛作である”
寿命の短い時代、1度の収穫しか望めないが、人生80年といわれる時代になると、一毛作では不充分である。もう一度、新しい作物をつくる二毛作の思想が必要になると思いついたのである。
その通りに外山先生は、二毛作いや三毛作もの長い人生を歩まれた。
ユーモアが大好きな先生の著書にはこんな小話が紹介されている。
死期の近いことを感じていた患者が、牧師にたずねた。
「わたくしは、天国へ行けるのでしょうか。それとも地獄へ行くことになるのでしょうか。お教え下さいませんか」
牧師はしずかに答えた。
「どちらもいいところですよ。天国は気候がいいですし、地獄は地獄で、お仲間がたくさんおりますから…」
(『ユーネアのレッスン』中公新書)
亡くなられた先生はどちらにおいでか、などと野暮なことは問うまい。天国も地獄もどちらも「いいところ」と聞くと安心するが、「お仲間」とは誰なのかちょっと気になる。
最近のコロナ禍においては、密着せずに適度な距離を保つようにと盛んに言われる。外山先生もこの人間相互の距離について論じておられた。──日本人のように挨拶にお辞儀をする人間は、他人が50センチ以内の至近距離に近づくと、なんとなく不安を覚える。適当に離れていた方が快い。「敬遠ということばは、近づきすぎてはうやまったことにならない心理をあらわしている」(『日本語の個性』中公新書)
他方、人には「つき合いの距離」というものがあって、ふつうは言葉を通してその距離を確認している。「日本語はこのつき合い距離の表現がたいへん豊かに発達している。敬語もその距離の具体的表示にほかならない」(同上書)。離れているだけではなく、相手と直接に言葉を交わしてこそ、人間関係は豊かになるのだ。
人間通の碩学の著作からは、生活の筋道がいろいろと学べる。なによりも著者の好奇心旺盛で前向きな姿勢が、読む者に元気を与えてくれる。先生の名著は、これからも末永く長く読み継がれていくであろう。
(次回は11月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。