倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第117回
先般ある研究会で、自衛隊元陸将にして西部方面総監だった番匠幸一郎氏をゲストに迎えた。国防に関する深刻な話を聴き、深く考えさせられた。番匠氏は2004年に派遣された第1次イラク復興支援群長としてサマーワに赴き、現地派遣部隊の初代指揮官を務めたキャリアもある。
知らない人もいるようだが、世界中のほとんどの国では「軍隊を持つ」という合意のもとで、国防について真剣に議論されている。ところが日本ではいまだに「軍隊を持つのか持たないのか」の合意すらなされていない。これでは国家ではあっても、独立国とは言えないだろう。
先頃は日本学術会議の委員の任命をめぐる問題が国会でも追及されたが、同会議では軍事の研究には関わらないことを信条としていたそうだ。しかし軍事研究とは戦争をするための研究よりも、戦争を抑止するための研究に意味があることを、優れた学者たちは認識していないらしい。
そもそも国防を防衛省や自衛隊だけに丸投げしていては、安全保障が成り立たない。他の行政機関との連携は不可欠で、何よりも必要とされるのは国民の理解と支持である。「軍隊」「軍備」と聞くだけで戦争と結びつけて嫌悪する短絡思考が、自国の国益を損ねていることに気づいていない国民があまりにも多い。──と、そういうことを口にするだけで批判される風潮が戦後日本には長くあったが、ようやく少しは改善されてきている。
いまや日本の人口が減り、超高齢社会となって、ただでさえ足りない自衛官を目指す若者は激減する、と番匠氏はおそれていた。その根底には、戦前の反動として世の中に瀰漫(びまん)した「生命至上主義」もあるのではないか、と筆者も憂える。自己の生命の尊重を最優先とする価値観を、戦後の教育では強く教えた。そうなると、命がけで自国を守ろうとする気概など生まれない。リスクは自分で負わず、誰かにやってもらおうとするエゴイズムの姿勢が当たり前になってしまう。
新型コロナ感染症の対策の根底にも、同様の生命至上主義が居座っていないだろうか。医療関係者が仕事柄、感染を予防するためにやかましく注意を促したり、行動の自粛を要請するのはわかる。しかしそれが度を超して、ゼロリスクを求めるようだと、世の中は麻痺してしまう。自分の生命に危険を及ぼす可能性のある感染者を排除しようと責め立てる心ない仕打ちも、各地で現実に起きてきた。
今から50年ほど前に、反骨の評論家と知られる福田恆存(つねあり)が、その頃に発生した日本赤軍による人質事件をとりあげて、人命尊重を「現代のタブー」と論じた。人命尊重を疑ったり批判するのは禁物になっている。しかし人命尊重を最優先すると、それより高い価値のものが失われてしまう。「なぜ人命は尊いのか?」「なぜ人を殺してはいけないのか?」を、1度は真剣に考えるべきだと福田は読者に求めた。
自他の生命が尊いのは当然である。しかしまた、自己の生命を犠牲にする覚悟で取り組む行為を軽んじる世の中が、健全だとはけっして言えない。
(次回は1月16日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。