〈コラム〉法の根底に倫理がある

0

倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第121回

去る3月17日に、札幌地方裁判所は同性婚を認めないのは違憲、とする判断を示した。世界のG7の国々で、同性婚を認めていないのは日本だけだという。その当否はここでは論じない。疑問に思うのは、札幌地裁の違憲判断である。

原告の同性カップルは、同性同士の婚姻届を受理しないのは憲法24条のほか、幸福追求権を定める13条、そして法の下の平等を定める14条に違反するとして、1人当たり100万円の損害賠償を国に請求していた。

札幌地裁は、13条と24条については違憲には当たらないと原告の請求を棄却しながら、14条に違反すると判断したのである。「すべて国民は、法の下に平等であって」に始まる14条では、たしかに性別による差別を禁じている。だからといってそれが、同性婚を認める根拠になるのか?

24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として……」とあり、その「両性」と「夫婦」が男女を意味するのは明白である。すなわち現憲法は同性婚を禁止している。もし同性婚を可能にするならば、24条の改正を求めるのが筋であろう。しかし憲法改正の声は聞こえてこない。

日本は法治国家だから、憲法をはじめとする法体系が整えられている。しかし国の秩序は法だけで維持されるのではない。かつて高名な数学者の岡潔は次のように述べた。

国の秩序を維持しているものは道義です。法律ではありません。この根本の認識がどうかと思う。だいたい法律で秩序を維持していくというようなことができますか。私たちは、日常道義を守っている。法律を守っているのではありません。とても煩雑で守れない。(中略)天網恢々疎にして漏らさずというのが道義であります。法律ではありません。(「教育論序説」『岡潔集』巻5)

よく考えてみればその通りではないか。「困っている人に親切にせよ」という法律の条文はない。意識しようがすまいが、われわれがふだん守ろうとしているのは、法令ではなく、倫理や道徳なのである。だいたい憲法の条文すら覚えていない国民が大半ではないか。

法律は細かく規定されているようで、いろいろに解釈もできるため、抜け道を見つけたり、不可解な判決を下せる場合もある。そもそも法律は「人のみち」を説くものではない。ドイツのイェリネックという法哲学者は、「法というのは道徳の最小限度である」と言ったことで知られる。法の基底に倫理道徳があるのだ。その基底のところを遵守する精神と行動が、世の中の秩序を健全に保つのだと熟知しておきたい。

戦前の日本には、明治期につくられたなかなか立派な法体系があった。それと共に「教育勅語」に示された立派な国民道徳が存在していた。ところが戦後の日本には、それなりに法体系が整備されても、国民道徳が不在のままで、教育も十分にはなされていない。それは、いまだに癒えない敗戦の後遺症の一つであろう。

(次回は5月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『経営力を磨く』(倫理研究所刊)。

●過去一覧●

Share.