〈コラム〉「わらしべ長者」の教訓

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第128回

先見力はリーダーや責任者に不可欠な能力である。時代の流れや世の中の動きを察知するだけではない。いま関与している物事が、この先どう進展するかを予測する能力がつねに求められる。しかし予測はとても難しい。先見力をすり減らす要因が少なくないからだ。

一番の要因は、目先の利害であろう。「カネ(欲)に目がくらむ」と言われるように、経済至上主義の世の中では、正しい行為かどうかよりも、すぐに儲かるかどうかを優先してしまう。成功するか否かは「長い目」で見なければわからないのに、いつも近視眼になっている。

「わらしべ長者」という昔話を味わってみてはどうか。あるとき身近な人たちにこの話を知っているか尋ねたら、筆者より一世代下の人は誰も知らなかった。そもそも「わらしべ」が何だかわからないという。

正直だが、貧乏で運に恵まれなかった男がいた。ある寺で観音様に祈ったところ「この寺を出て最初に手にした物を持って歩いていけ」と告げられた。男は寺の門を出たとたん、石につまずいて転んだ。手にしたのは、たった1本の藁(わら、わらしべ)である。「なんだ、これか」と落胆するが、男はお告げ通りに藁を手に持ち、飛んできたアブをつかまえて藁に結んで歩いていった。すると、立派な車に乗っていた子供がそれを見て欲しがる。差し出すと家来がお礼にミカンを三つくれた。ほどなく、喉の渇きに苦しんでいる女性と道端で出会う。持っていたミカンをあげると、お礼に上等な絹の布をもらった。男がその布を携えて歩いていると、馬が突然の病気で倒れて困っている人がいた。急いで町に出て布と馬を交換する予定だったという。持っていた布を渡すと、大いに喜ばれた。馬はたちまち元気になり、引いて歩いていると、引っ越しをしている家がある。どうしても馬が必要だというので、男は馬と屋敷田畑を交換し、やがて大金持ちの長者になった──という話である。

この昔話は、1本のわらしべが次々に、別の良き物に取り替えられていく様子が面白い。自由経済は金銭で表示される等価交換を原則として成り立つが、人生それだけではないのだ。価値は人によって異なるのである。

この昔話がいちばん訴えたいのは、正直と優しさの徳であろう。貧しかった男は、観音様のお告げを正直に守った。困った人がいれば、見過ごさずに助けた。ミカンをすぐに食べてしまったり、カネ欲しさに絹布を直ちに売り払ったら、長者にはなれなかった。たとえ今は窮していても、長い目で見れば、心優しい正直者はいつか幸運を手にできる。

かつてある著名な経営者と対談したとき、人生は生まれる前と死んだ後も含めた長い目で見なければ間尺が合わない、という話になった。優しさと正直の徳を失わない人は、きっとこの世で活路がひらける。しかしたとえこの世が苦難だらけであったとしても、活路は来世に向けてもひらかれていると信じたい。

(次回は2022年新年号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『経営力を磨く』(倫理研究所刊)。

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