〈コラム〉残酷さを経験すること

0

倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第135回

筆者が属する倫理研究所のセミナーハウスが、富士山麓の御殿場市にある。そのすぐ山側には陸上自衛隊の演習場が大きく広がっていて、地元の人であれば立ち入りが許される日が決められている。近年、早朝に演習場に入ると、シカの群が走り回り、まるでサファリパーク状態である。

大型野生動物のニホンジカは、個体数が増加したために、各地で深刻な林業被害を引き起こしている。さらには自然植生にも大きな影響をもたらしてきた。これまで進出することの少なかった高山帯にまで現れるため、希少な植物が絶滅の危機に瀕するケースも出ている。

約3万坪の私どものセミナーハウスも野生動物の被害に遭うようになってきたので、ヒノキ林の中に罠を仕掛けている。シカのほかにイノシシやアナグマが時々獲れる。野生動物を捕獲するには狩猟免許が必要である。罠を仕掛けるにも同資格の持ち主でなければならない。捕れた動物の肉を処理するには、食品衛生責任者の資格がなければいけない。弊所にもそうした資格の持つ職員がいるので、過去にずいぶん多くの動物を駆除できた。

先月は筆者が滞在中にシカが獲れたと聞き、朝方すぐに見に行った。まだ若いオスで、足がワイヤーのくくり罠に掛かっている。獲物はその場ですぐに処理される。電気ショックで絶命させ、血を抜き、解体して必要な肉を取り出す。残酷ではあるが、はじめてその様子を目にしながら、色々と考えさせられた。

わが国では江戸時代以前から、野生鳥獣による農業被害は食糧生産上の重要な課題となっていたため、駆除としての狩猟は早くから行われていたという。五代将軍綱吉による「生類憐みの令」の時代ですら、野生鳥獣の狩猟は普通に実施されていた。とくにシカは、肉の食用にとどまらず、皮も角も骨もさまざまな生活用具の材料として活用されてきた。駆除の必要性とその活用のバランスがとれていたのである。

捕鯨は海外の動物保護団体から目の敵にされてきたが、捕獲しなければ増えすぎて海洋環境のバランスを著しく損なうミンククジラのような種類もいる。「動物の権利」運動に熱心な人たちからすれば、すべての動物は保護されねばならなくなるが、それは極端な非現実的な主張である。植物は食べてもいいが動物はいけない、という筋の通った理屈はあるのか。人間は自然界から収奪するばかりではない。その知恵と能力を駆使して、自然界のバランスを保つ役割があるのではないか。

最近の日本の小中学校では、カエルやフナの解剖を授業で行わなくなって久しい。残酷な行為は慎むべきだという理由だろうが、それなりに豊かな自然環境に置かれた子供は、小動物や昆虫に対して残酷と思われる行為を経験しながら育つものである。昨今の子供たちは、ナマの残酷さから目を閉ざされているが、それでよいのか。大人たちでさえ、スーパーで売られている食肉が、売り場に置かれるまでの過程などほとんど知らない。

不運にも捕獲された1頭のシカが、命を奪われる前に放った悲鳴が、耳の奥からしばらく離れなかった。

(次回は7月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)。

●過去一覧●

Share.