倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第139回
秋の訪れを告げる虫の音は次第に弱まるのに、安倍晋三元首相の国葬(国葬儀)に反対する声は、夏が終わる頃から強まる一方だった。9月半ばのある世論調査では、「賛成」が25.3%、「反対」が51.9%。反対の増加と反比例して、岸田内閣の支持率は低下していった。
周囲と話をしていても、「(国葬に)どちらかといえば反対」が多く、積極的賛成は少なかった。マスメディアが醸成する「空気」に呑み込まれやすい日本人だから、そうなってしまうのだろう。
もちろん反対する理由も、「法的根拠がない」をはじめ色々ある。長期政権を率いた安倍氏の実績評価はまだ定まっていないとか、費用総額の16.6億円は高すぎるとか。国葬に招待する基準がハッキリしないことにも批判の矛先が向けられた。
戦後の首相経験者の国葬実施は、吉田茂氏ただ1人である(1967年)。沖縄返還やノーベル平和賞受賞など、大きな実績を残した佐藤栄作元首相の場合は国民葬だった。その後の多くの首相経験者の葬儀は内閣・自民党合同葬として行われてきたのにどうして安倍元首相は国葬なのか、と疑問の声があがった。
それに対して政府は実施の理由として、安倍政権の比類のない実績をはじめ、いくつも示した。その中に「民主主義の根幹たる選挙期間中の蛮行への国内外からの幅広い哀悼、追悼の意」「国葬儀を通じて、暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜く決意の表明」がある。それらは重く受け止めるべきではないか。しかし左派系のマスメディアはほとんど無視し、安倍政権の「負の遺産」ばかりを強調した。もし旧統一教会への批判を過剰に煽り立てなければ、国葬反対の勢いはあれほどにまでならなかったであろう。
その日、筆者は日本武道館での国葬に参列した。所属する倫理研究所のかつての監督官庁であり、今でもいくつかの行事で後援を得ている文部科学省を通して招かれたからだ。
霞が関の中央合同庁舎7号館で午前10時からの受付を済ませ、バスで会場に向かう。午後2時の開式まで待つ時間は長かった。品格ある舞台設営がなされた会場で、セレモニーは粛々と進行した。非業の死を遂げた名宰相に、国としてできる最高の礼儀が示されたといえよう。ようやく献花の番となり、再び元の庁舎まで護送されたのは午後6時。長い1日となったが、誰からも不満の声は出なかった。
翌日の各紙が伝えていたように、とりわけ参列者の胸を打ったのは、菅義偉前総理の弔辞である。朴訥な語り口で、怒りと悲しみが交錯する真情が吐露された。「総理大臣官邸でともに過ごし、あらゆる苦楽をともにした7年8カ月。私は本当に幸せでした…」。終わると場内から自然と拍手が湧き起こったのは異例といえよう。
会場外の一般向けの献花台には、秋晴れの空のもと、約2万6000人が、一時は3キロ以上もの長蛇の列をなしたという。そこに若い世代の人たちも多かったのは、若者に希望を持たせる国でありたいと常々語っていた故人にとって、何よりの慰めとなったのではないか。
(次回は11月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)。