〈コラム〉多様だから生まれる活力

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第148回

中学生のクラブ活動で、筆者はバスケットボール部に入った。ゲームに出られるのは5人と少ない。なかなか出番がなく、欲求不満が募った。

高校ではラグビー部を選んだ。ゲームには15人も出られる。しかし泥だらけになる怪我をしやすいスポーツなので、当時はあまり人気がなく、陸上部とか野球部からかき集めなくては試合ができなかった。

ラグビーは一種の陣取りゲームで、ボールのある位置により味方と敵の陣地が線引きされる。相手の陣内にボールを持って攻め入り、ゴールラインの先にボールをタッチすれば、フィールド内すべてが味方の陣地になる。それがトライを奪うことだ。

15人のメンバーは、フォワードとバックスに分かれる。フォワードの8人を見てみよう。スクラムを組む1列3人は、激しい重圧に耐えなければならないので、ずんぐりむっくりの体型が多い。2列目中央の2人のロックは、ラインアウトで捕球もできるよう、背の高い大男が向いている。両端のフランカー2人は、ボールに食らいつき、機敏な動きができなくてはならない。ナンバー・エイトはフォワードの要で、バックスとの連携をうまくとる。

バックスの7名はどうか。小柄なスクラムハーフは、俊敏な動きが持ち味で、フォワードが獲得したボールを素早く廻す。スタンドオフは攻撃の司令塔、的確な決断力とキック力が求められる。2人のセンターは突破力があり、パスやタックルが上手くなくてはならない。左右のウィングは快足俊足、ボールを持ったらとにかく走る。そして最後尾にいて守りを固めるフルバックは、常に沈着冷静でなければならない。

さまざまな体格体型の個性的な15人が、一つの楕円球を追い、肉弾戦を繰り広げるところにラグビーの魅力がある。企業もよく似ている。まことに多様な人々がいて、それぞれオンリーワンの持ち味を発揮できてこそ強い集団になる。

戦後ただちに倫理運動を興した丸山敏雄(1892~1951)は北九州の出身で、37歳まで教職に就いていた。福岡県久留米の明善校へ転任したのは、大正12(1923)年4月で、そこには川口孫治郎(1873~1923)という名物校長がいた。鳥類の習性研究では当時の日本の権威である。その学校には変わった教師がたくさんいて、皆が川口校長を慕っていたという。

「なるベく変わった性格の人がほしい」と校長自身が公言して、教師たちを招聘していたのだ。教員免状も持たない古参の漢文の教師もいれば、めったに学校に出て来ずに学問では有名な教師もいる。校長はなんらやかましいことを言わず、悠然として大綱はガッチリ握っていた。

さまざまな種類の鳥類を研究した経験から、学校にも個性的な教師が大勢欲しいと川口校長は思ったに違いない。長所も短所も持ち合わせた多様な人間が集まり、互いに補い合えれば、集団は活力を帯びてくる。驚くほどの成果を上げることもある。

トップリーダーには「みんなちがって、みんないい」と、大局から集団を眺める度量が欲しい。そして各人の長所を生かせる仕組みづくりを工夫して欲しい。

(次回は8月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。

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