〈コラム〉耳を澄ませば

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第160回

かつて欧米で一世を風靡したミュージシャンのツトム・ヤマシタ氏(1947〜)は、商業音楽の世界から身を引いて帰国すると、京都の東寺に籠もり、真言密教を修めた。やがて縁あってサヌカイト(讃岐岩)という太古の石と出会う。
その石の塊にスリットを入れて叩くと、身を震わせるような余韻が2分以上もつづく。ヤマシタ氏はいくつものサヌカイトを加工し、それを打楽器として、独自の音楽領域を開拓してきた。
とくに京都の大徳寺における「音禅法要」は、音でつなぐ神仏習合、宗教宗派を超えた祈りのイベントである。2005年に始まり、毎年、秘やかに演じられてきた。サヌカイトや和楽器が奏でる音楽と融合するとき、読経や祝詞は新鮮な音霊(おとだま)の響きを発して胸に迫る。

去る6月の「音禅法要」には、最先端のIT企業の人たちが参加した。間近に聴く生(なま)の演奏に「これがホンモノの音なのだ」と驚嘆し、感動に包まれたという。過日、ツトム・ヤマシタさんからその話を直にうかがい、感銘深かった。なぜなら常日頃から筆者なりに、現代人の感性の劣化を憂えていたからである。

今や誰もが持つスマートフォンは、その活用領域がどんどん広がり、手放せなくなった。おそるべき威力を発揮する生成AIも、身近で使えるようになってきた。そうしたIT社会(あるいはテクノ・イノベーション社会)の信じがたい発展は一方で多大な混乱や危惧を生み出している。

ネット上に自分の悪口が書き込まれていないか、日々、戦々恐々としている小学生がいるのだという。フェイク情報の氾濫は、人々を疑心暗鬼にさせる。複雑多様化した社会では、どんな情報が正しく、誤りなのかの判断は難しい。AIが情報を流すようになると、届いた情報は人間が発したものか、AIという道具が作為したものか、わからなくなってしまう。信頼や信用が損なわれると、世の中は成り立たなくなる。感性の方はどうか。

音楽はスマホからイヤホンで聴けば十分と、ステレオ機器すら持たない若い世代が多いらしい。しかし機器から流れてくる音楽は、人工的に構成された代物である。演奏された楽曲の超高音や超低音はカットされてしまう。機器の音に慣れてしまうと、それだけ感性の及ぶ範囲が限定される。

バーチャル画面ばかり見ている目も同様で、これでは人間の持つ感性がどんどん劣化してしまう。感性が劣化すれば、知性も徳性も健全に育たない。人間そのものが退廃していく。どうしたらいいか。

生の音や音楽を聴きたいけれども、コンサートホールに足を運べない人は多いだろう。大丈夫、まずは屋外に出ることだ。
できれば早朝がいい。都市部でも身近に公園や緑地帯はある。そこに身を置いて、耳を澄ませると、鳥のさえずりが聞こえる。木々を揺らす風の音も耳に届く。雨の音もまた心地よい。自然界に満ちているさまざまな音が、感性を刺激してくれる。
たとえ一日10分でも、そんな時間を持ちたい。筆者は毎朝、感性を全開にしながら、公園ウォーキングを楽しんでいる。

(次回は8月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。最新刊『朗らかに生きる』(倫理研究所刊)。

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