倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第165回
驚くほど便利になったが、実に厄介な時代にもなった。
たとえば、外国語の翻訳である。昨年、ある国際フォーラムを主催し、海外の参加者と英語やスペイン語でメールなどのやりとりをした。スペイン語はまるでわからないが、こみいった文章でなければ、自動翻訳ソフトを使うと瞬時に翻訳してくれる。その精度は年々アップしているという。ネットの英文記事も和訳がたちどころに読める。まことに便利だが、語学力は間違いなくダウンしていく。
都市生活では、現金を財布に入れて持ち歩かなくてもいいようになった。中国ではコロナパニックの何年も前から、スマートフォンが財布代わりになっていて驚いた。物乞いする浮浪者まで、スマホを差し出してお金をせびっているではないか。
スマホの財布では顔認証が利用されている。この数年で、AIが生成する画像の品質は劇的に向上した。オンライン上で本人確認を完結するシステムは「eKYC」と呼ばれる。
大変に便利だが、この仕組みが悪用されると、他人になりすまして銀行口座を開設したり、スマホを取得したりすることができ、犯罪に使われる恐れがある。
生成AIに簡単な指示を出すだけで、誰もが驚くほど精緻な画像を作れる。これも便利ではあるが、悪用すればフェイクニュースを簡単に作れてしまう。偽画像がソーシャルメディアを通じて拡散しているニュースがよく報道されるようになった。
静止画であれば本物の写真かAI生成画像か、人間の目で見分けられるだろうか。偽情報に添えられた写真をいくら注意深く見ても、偽物かどうかは見抜けないだろう。
さらには他人の顔まで乗っ取ることもできる。AIで顔だけ別人に変えるフェイク動画は「ディープフェイク」と呼ばれる。「AIで芸能人・有名人の顔になれるエフェクトのやり方とアプリ」まで無料でダウンロードできる。なりすましは歴とした犯罪である。
そんな便利で厄介な時代になるなど、30年前に誰が想像しただろう。1995年は「インターネット元年」と呼ばれる。当初は大学や研究機関のデータ共有が目的だったが、インターネットとの接続を手軽に行えるWindows95が登場して一気に普及したからだ。もはや世界は、IT機器なくして一歩も動けなくなった。さらにこれから付加価値が付き、危険も増していくだろう。
もっとも危惧するのは、生身の人間の触れ合いがどんどん薄れていくことだ。スマホのようなきわめて便利と思われるコミュニケーションツールによって、本来は異なるはずの人間が均質化していく。それがどれほど恐ろしいか、深く考えている人は少ない。
防御策の一つとして、パソコンやスマホに触れない日を設けたらどうか。休日には、スマホを家において外に出て、自然との対話を楽しむ。家族や親しい人たちで集い、会話に花を咲かせる。それさえできなくなるようなら、早晩、ウソにまみれた人類社会は消えてなくなるだろう。くわばらくわばら──。
(次回は1月11日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。最新刊『朗らかに生きる』(倫理研究所刊)。