倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第167回
明治5(1872)年11月に、それまでの太陰暦(太陰太陽暦)を廃し、太陽暦を採用する詔書が発せられた。その太陽暦とは、世界で広く使われているグレゴリオ暦のことだが、日本の季節の移ろいは旧暦の方がよく合っている。
今年の旧暦の元旦は1月29日なので、まだ新年早々と言ってもよい。十二支では巳の年。巳は動物ではヘビとされる。爬虫類のヘビは虫の仲間と考えられたので、漢字の蛇には虫が付いている。虫の正字は「蟲」で、「虫」は略字である。
虫といえば、2008年にリーマンショックで連鎖的に世界金融危機が発生したとき、「金融」という文字について考えさせられた。英語ならばファイナンスの訳語の一つとして、金銭の融通、つまり金まわりという意味で金融としたのだろう。融には「とおる(通る)」という意味がたしかにある。だが、この字にはどうして「虫」が付いているのだろう。
文字学の泰斗である白川静(1910〜2006)の分厚い字書『字統』を引いてみると、融の左側は煮炊きや貯蔵に使う器のこと。「その器中のものが腐敗して虫を生じ、器の旁に虫があふれ出ている形」が融の字とある。なるほど…。
そんな融の字源から推せば、金融とは金が腐ってウジまで涌いている意味に思えてくるではないか。いかがわしい金融商品なるものは、まったくその通りだ。あくなき人間の欲得で腐敗し、悪臭を放つ金銭が、今でも世界経済の中枢に巣喰っている。
商品交換の媒体であるお金そのものが、商品として扱われるようになってから腐敗が始まったと言えよう。借りた金銭には利子という恐ろしい魔物が潜んでいる。『旧約聖書』の箴言にいわく──「借りる者は貸す人の奴隷となる」。
虫はしかし、虫類ばかりではない。目に見えない何かも虫と呼ばれることがある。自分勝手な図々しさを「虫がいい」と言い、荒立つ気持ちが消えることを「虫がおさまる」と言う。腹には「虫」が住んでいるらしく、居所が悪いと癇癪をおこす。それを我慢することを「虫を殺す」とか「虫を鎮める」とか言う。
妙齢の女性には「虫がつく」から用心されたし。「虫が好かない」相手とは、付き合わない方が無難だろう。「虫が合う」とは「気が合う」と言い換えてもよい。なかでも興味深いのは「虫のしらせ」という言い方だ。シンクロニシティー(意味のある偶然の一致)はときどき起こる。
さて、虫の類とされたヘビ(巳)の年に思うのは、やはり脱皮という特異な生態である。蛇の場合、脱皮殻は靴下を裏返して脱ぐように、裏返りながら剥がれ、全身の皮がひとつながりにきれいに剥がれる。
人間であるわれわれも、今年はそんなきれいな脱皮をして成長したいものだ。世界全体も、新しい時代に向けて、色々な領域での脱皮が求められている。
アメリカは返り咲いたトランプ大統領のもとで、大いに脱皮が進むであろう。日本の場合も、オールドメディアや財務省など、権力を持ちすぎた領域で脱皮がなされることを望む。そうならなければ、腹の虫がおさまらないではないか。
(次回は3月第3週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)『至心に生きる 丸山敏雄をめぐる人たち』(倫理研究所刊)ほか多数。最新刊『朗らかに生きる』(倫理研究所刊)。