倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第170回
あなたの元気の秘訣はなんですか?
そう問われたある人が「キョウイク」と「キョウヨウ」と応じた。前者は教育ではなく「今日行くところがある」の意味。後者も教養ではなく「今日用事がある」ことだとか。洒落ではあるが、言い得て妙である。目が覚めたときに「今日もやるべきことが待っているぞ」と思える人に、元気のないわけがない。
ところで日本人は昔から、他者の目を意識する傾向が強い。その他者は、身近な誰かや世間だけでなく、神のような見えない存在も含まれる。お天道様が見ておられるから恥ずかしいまねはできない、と自分を律してきた。
その見えない存在の中には、死者も含まれる。人は死ぬと一定の期間を経てから神になると信じられてきた。祖先崇拝の精神文化がそこから生まれる。
日本を愛し、小泉八雲と名乗って日本に帰化して骨を埋めたラフカディオ・ハーンは、この国は「死者に支配されている」と喝破した。『神国日本────解明への一試論』という著書には、祖先崇拝全般に共通する特徴として、次の5点をあげている。
(1)死者、すなわち祖先は、この世に残っている。その墓所や元の住居のあたりに居て見えないけれども、生きている子孫と一緒になっている。
(2)死者は、超自然の力をもつという意味では、ことごとく神となる。その存命中にきわだっていた性質はそのまま持っている。
(3)死者の幸福は、生きている者が捧げる敬神的奉仕のいかんにかかっている。
(4)この世に起こることは、豊作のような良いことにしろ、自然災害のような悪いことにしろ、ことごとく死者の仕業である。
(5)人間の行為は、良かれ悪しかれ、みな死者の制約を受けている。
そうした日本人の祖先崇拝は、仏教の受容などによって変遷もしたが、本質的な特徴は変わっていない。社会の機構も道徳の基礎も、そうした信仰を土台に築かれた。義務の観念や親孝行、忠誠の情念や厳しい戒律とか法規、自己犠牲や愛国の精神はそこから生まれている。神をまつり、祖先をまつる「まつりごと」の伝統がこの国の根幹にはあり、日本人の美質が形成された。死者とは「過去」と言い換えてもよい、と小泉八雲は熱を込めて書いた。
八雲が没して120年余り過ぎたが、今日の日本人はどうだろう。本質は変わっていないとしても、戦後の偏ったリベラル思想のもとで、伝統文化を軽視する風潮になっていないか。安易に進歩主義を信じて未来の理想ばかりを求め、昔からの慣習や伝統を毛嫌いするのは軽薄である。
この国も自分自身も、過去の集積以外の何物でもない。自分とは何かを探しても、わからずに混乱するだろう。「何が自分なのか(自分は過去の何から成り立っているのか)」と問えば、霧は晴れてくる。もとより改めるべき過去は多々あるにしても、まずは過去をよく知ることから始めなければ話にならない。
そうした過去に根ざした教育と教養こそ、日本人を元気にする秘訣なのではなかろうか。
(次回は6月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『これが倫理経営─ダイジェスト・倫理経営のすすめ』(倫理研究所刊)。