〈コラム〉災害ユートピアの体験

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第171回

日本は言わずと知れた地震大国だが、いつどこで大きな地震が発生するか、まったく予知できない。昨年元旦の能登半島地震は、正月気分を吹き飛ばしてしまった。

これまで大災害の被災地のあちこちを訪問したが、能登地方にはようやく今年の4月13日に現地を視察できた。報道されてきた通り、過疎地ゆえに復興が遅れている。いちばんの問題は人口流出に歯止めがかからないことであろう。

アメリカの西海岸でも大きな地震が発生する。1989年10月17日にカリフォルニア州北部で発生した「ロマ・プリータ地震」は、マグニチュード6.9。死者63名、負傷者3208名、罹災者5万5000名という、1906年のサンフランシスコ地震以来の大地震だった。

その大地震を経験した著述家レベッカ・ソルニット女史による『災害ユートピア』(原題は『地獄に築かれた楽園』)の邦訳が出たのは、東日本大震災発生の前年だった。震災後の書店にこの本が山積みされていたのを覚えている。本書のプロローグにこうある。

「1989年10月17日にカリフォルニア沿岸でその地震が起きたとき、驚いたことにわたしはそれまで腹を立てていた相手のことが、どうでもよくなっていることに気づいた。怒りは他のすべての抽象的なことや間接的なこととともに蒸発してしまい、わたしを無我夢中にさせてくれる“現在”に没頭していた。(中略)1989年の大地震に続く数週間には、愛と友情がとても大切で、長年の心配事や長期的プランは完全に意味を失っていた。人生は今現在のその場に据えられ、本質的に重要でない多くの事柄はすべてそぎ落とされた」

災害直後に人々は、自分と家族、近隣の人々、財産を守るために、危険を顧みることなく勇敢な行動をとる。続く半年ほどは劇的な体験を生き延びた人々が、体験を共有することで、愛と連帯感に包まれ、援助への希望を持つ。ソルニットはその時期を「ハネムーン期」と呼んだ。

しかし時が経過していくにつれて、愛の熱は次第に冷めていき、不満が噴出したり、トラブルも発生する。被災地で生活の建て直しが進んでいく一方で、復興から取り残された人々や、精神的な支えを失った人々はストレスの多い日々が続く。

そうした災害発生からの経過には、大事な倫理的課題が示唆されている。すなわち「災害ユートピア」を災害時のみならず、平常時においてもどうしたら実現できるか、という課題である。災害経験をもとに、人々がエゴ(自利、わがまま)を抑制した「共尊・共生」の社会に向けて一歩を進められたら、災いを福に転じたことになるのだが、それはとても難しい。

平安末期に京都で大震災に遭遇した鴨長明は「世の人がしばらく前に起こった地震を忘れ、忘れたころにまた地震が起こり大きな被害を受けるというのを繰り返してきた」と『方丈記』に書いている。これからも国内のどこかで大災害が発生し、たとえ短い期間でもユートピアを体験できるとしたら、それはそれで国民の絆を深める貴重な出来事として大切にしたい。

(次回は7月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『これが倫理経営─ダイジェスト・倫理経営のすすめ』(倫理研究所刊)。

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