倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第178回
日々の暮らしの中で、ときにシンクロニシティー(意味のある偶然の一致)と思われる出来事に遭遇する。
ごく最近では、年末に「自由」について思いをめぐらせていたところ、12月27日配信のネットニュースに驚かされた。ブラジル南部リオグランデ・ド・スル州グアイバの駐車場に堂々と立っていた「自由の女神像」が、暴風にあおられて倒壊したと報じている。無残にも顔から前のめりに崩れ落ちた像の写真も載っていた。
この像はニューヨーク港内のリバティ島にある像とそっくりのレプリカである。マンハッタンの観光名所となっている本物の像は、アメリカ独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成したという。
ずいぶん前に観光船に乗って間近で仰ぎ見たとき、あれがどうして「女神」なのか疑問に思った。トーチを高く掲げる腕は男性のように太くたくましい。なんでも根拠はフランス語で「自由」を表す名詞が女性名詞だからというのだが…。
性別はともかく、ブラジルで倒れてしまった高さ約35メートルの女神像に対してネット上には「自由、重力に負ける」「風に民主主義まで持っていかれそう」と深読みした人の声まで載っていた。そこまでこじつける気はないが、筆者がちょうど考えていたのは、「自由とは本当に守るべき普遍的価値なのか?」ということだった。
というのは、昨今の日本の政界に、不思議な現象が起きているからである。それはひと言で「保守傾向」と言えるだろう。
自民党議員にかぎらず、大勢の政治家たちが「保守」を名乗りたがっているのだ。少し前まで野党議員の多くは、正面から自分をリベラルだと唱えていたのに、それを時代遅れと見られるのが嫌になったのかもしれない。
言うまでもないが、人間の理性の力を信頼して成り立つ近代社会はリベラルを旨とする。個人の自由を筆頭に、平等、人権、民主主義などが普遍的価値とされる。であるなら、それらを蹂躙する輩に対して警告を発するのが「保守」のはずである。
ところが最近の日本の政界では、保守なのかリベラルなのか容易に区別がつかなくなった。そもそも日本古来の伝統的価値観は、欧米に生まれた近代の価値観となじまない面が多々ある。とくに昭和の敗戦後の日本は、伝統文化との断絶を強いられ、アメリカ流の改革を余儀なくされた。
自由を最大限に尊重するアメリカ的価値観は、エゴをむき出しにする個人主義であるとか、効率化を最優先する経営であると受け取られ、日本人の感覚には合わないと心の底では多くの人たちが思っている。
近年のとくに若者たちの「保守志向、リベラル離れ」の底には、本来の伝統に回帰したいという心情があるのではないか。そんな動向に、政治家たちが乗り遅れまいとしているのではないか。
と、ここまで考えたがモヤモヤ感は残る。この気分をスッキリさせるためにも、今年は自由という価値について納得いくまで思索を重ねてみたい──それがさしあたりのわが年頭の決意であります。
(次回は2月14日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。一般社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)ほか多数。最新刊『これが倫理経営─ダイジェスト・倫理経営のすすめ』(倫理研究所刊)。