倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第89回
新規にある品物を仕入れようと思い立った。なんだか売れそうな気がする。けれども、もう少し様子を見てからにしようと、やらずにいた。
すると、近くの同業者が同じ物を仕入れて売り出した。大いに売れている。「しまった、遅れをとった」と焦り、仕入れの手配をすると、もう在庫は少なく、価格もずいぶん上がっていた。
似たような失敗はよくある。逆に、「よし、いまだ」と気づいたらすぐに行動を起こし、上手くいった例もあろう。成功者の多くは気づいたらすぐに行動する〈即行〉を身につけている。
筆者は30歳を少し過ぎたころに、SONYを創業した井深大氏と親しくさせてもらった。毎週のように港区三田のマンションに通い、特技の整体治療を施しながら、いろいろな話を交わした。学生時代から天才発明家と知られた井深氏も、すでに喜寿を過ぎておられたが、好奇心旺盛で童心を失っていない。当時は幼児開発に熱を入れたり、東洋医学に関心を抱いておられた。
ある日の治療のあと、東洋医学には手首の脈をみて病気を診断する方式があり、その機械を開発した韓国の老医師と会った話をした。「それは面白い!」と井深氏は興味津々。すぐに社内の者を韓国に派遣して、実物を確かめ、より精度の高い機械を共同開発することになった。
なんと素早い行動だろう。これまでもそうやって、色々な製品を開発してこられたに違いない。まだ若造だった筆者の話に、真剣に耳を傾けてくださる姿勢にもいたく感動した。
ところで、気づきはどうして起こるのだろう。日本語の「気」とは、心のほぼ同義語として用いられることが多い。気がつくとは、心が無意識のうちに外に向かい、心の触手がなにかにタッチして、ある情報をキャッチする現象である。
自分から気づこうとしても、なかなかそうはできない。心を集中させたり、逆に心が空っぽになっているとき、湧き起こるように与えられるのだ。
閃きとかインスピレーションという大きな気づきの瞬間もある。まったく忘れていたときに、稲妻のごとく閃くこともある。潜在意識でつねに求めつづけていたからこそ起こるのだろう。
世の中のあらゆる事象は、一糸乱れぬ整然とした摂理のもとに生起している。必要な時には、「さあ、いまだ」と知らせがちゃんと来て、脳に響く。第一感の発動、すなわち気づきに応じてサッと動くのは、大自然の摂理のなかに身を置くことだ。すぐさま対応すれば、うまく運ぶのは当然である。
気がついても行動しないのは、「わがまま」だからである。強情、怠惰、心配性といった自己中心の心が顔を出すから、すぐにやろうとしない。大自然の摂理から離れると、せっかくのチャンスを取り逃がし、あとで泣きを見る。
気づいたときが最好のチャンスだということは、体験的な真理として多くの人が得心しているだろう。しかしその真理を、活かしきっている人は少ない。
(次回は9月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。