〈コラム〉学びの王道

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第91回

日本では今年、スポーツ界における指導者たちによるパワーハラスメントという不祥事が大々的に報道された。事実であれば、権力を振りかざした暴挙は許しがたい。ただし、どこまでが厳しい指導で、どこからがパワハラになるのか、その境界は見極めがたい。
マスコミ報道はどうしても指導者側の非を追求することになる。他方の選手(プレーヤー)の側に問題はないのだろうか。

筆者が所属する倫理研究所(現在は一般社団法人)を創立した丸山敏雄(1892〜1951)の著述の中に、「学びの道」の伝統が戦後に一変したことを危惧した箇所がある。70年も前に書かれたものだが、自己を虚しくしてひとえに師(指導者)にぶつかっていく姿勢が乏しくなり、自己を顕示したり、自己満足を得ようとする姿勢が学びの世界を覆っている、というのである。その風潮はスポーツの世界にも蔓延り、「今日のままで行くならば、もう我国のスポーツは滅亡するであろう」という斯界の大御所の発言も引いている。

なぜいずれ滅亡するかといえば、「選手として選ばれた青年たちが、指導者の言うことを聞かない。無条件・無意見に、ただ先輩の教えに随喜順従することを知らぬ」からである。そしてそれは、わがままの勝手放題をよしとする戦後の風潮の反映である。──「朝は寝たいほうだい寝ている。食べ物はわがまま勝手に好きなものを、好きなだけ食べる。(中略)そうした自堕落で「わがまま」な若者たちが、どうしてスポーツの練習のときだけ、すっかり生まれ変わった生活に帰ることができようか」と手厳しい。
しかし、わかりきっていることではないか。勉強ひとつをとっても、良い成績は平素からの努力の賜物である。一夜漬けの好成績など本物ではない。「わがまま」放題で育った子どもに、勉強ばかりうるさく言っても無理というものだ。

平素の自分を律する生活態度が肝要なのである。学問でも武道でも芸道でも、あるいは宗教や職人の世界においても、「学びの道」のすべてにそれがあてはまる。日々の小さな善や悪でも、積み重なることで長い間には大きな力となり、その人に大きな幸福や不幸の結果をもたらすということだ。その小さな行為をふだんは見過ごしやすい。日常の心がけ次第で、その人の態度や言葉つきや、人相までも自然に違ってくる。いくら能力があっても、ふしだらな生活をしている人に、大きな仕事は任せられない。

日本のスポーツ界はいまだに滅亡してはいない。しかし、指導者と選手の間の溝が深まったり、信頼関係が喪失する状況は、各領域で広がる兆候がある。過剰なマスコミ報道が、それを助長するようであってはならない。厳しい目は指導者だけでなく、選手にも向ける必要がある。教育や企業の現場でも同様だ。「する」側と「される」側、指導し教育し命令する側と、それを受ける側とが、自分を律する生活態度を堅持し、信頼という絆で結ばれていることが、「学びの王道」を歩む条件である。好結果はおのずともたらされよう。

(次回は11月第2週号掲載)

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

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