マクロビオティック・レストラン(4)
アメリカに来た当初は、ビザの問題もあって、働けるかどうかさえわかっていませんでした。運よく見つかったとしても、庭掃除、窓拭き、ホテルの小間使いなどといった、あまり経験を問われない仕事になるだろうと。(『何でも見てやろう』の小田実氏とのちに知己になり、「あなたは見ただけだが、ぼくは何でもした。『何でもやってやろう』というタイトルで体験記を書こうと思っています」と言うと、苦笑されました。)
仕事が見つからないときは付け焼き刃の一弦琴を弾いてお金を恵んでもらおうと覚悟も一弦琴といっしょに運んできたつもりでしたが実際そのだんになると、みょうに尻込みして、――和服を着た二十代の美しいアメリカ人女性が、カーネギーホールの前に座りこんで、十三弦の琴を上手に弾いているのを見たときに腹は決まりました。恐れ入りやした。おれなんかの出る幕じゃあねえ。(メトロポリタン・ミュージアムで鎌倉時代あたりの一弦琴を発見したときは、もっとおどろきました。ちきしょう、何でも持ってやがる! 一弦琴を、どこかのミュージアムに寄付するつもりでいたから腹立ちはなおさらです。戦後のどさくさに紛れてかっぱらってきたくせに、と。)
ファースト・フード・レストランのバスボーイが最初の仕事です。「デリ・シティ」という名のレストランで、そこで働くSという日本人と、カナダからの帰りのバスの中で知り合い、紹介してしてもらったのです。(Sには何度も世話になりました。ソーシャル・セキュリティ・オフィスにいっしょに行ってもらったり、「バンコートランド」という日本人常宿のホテルを紹介してもらったり、日本レストランの仕事を紹介してもらったりと。――が彼は、それから二年後に入国審査でのちょっとしたしくじりから強制送還されてしまうんです。永住を希望していたSが、二度とアメリカにこれなくなり、帰国するつもりでいた私が、まだアメリカにいるのですから人生は皮肉なものです。しかし、しくじったのにも何か意味があるのでしょう。どういう意味があったのかは本人にしかわかりませんが。――Sも、そう考えていることを願っています。)
バスボーイの時給は、一ドル七十五セント。もちろんチップはない。一度をのぞいては。――その一度というのは、ある日、ナプキンの上に三セント置いてあった。忘れて行ったのかと思ったら、そうではない。
「これはチップではない。ヒントである」
うーむ。ヒントの使い方に新鮮さを覚え、日本語だったら暗示、案内、手がかりの、どれが相応しいかと気になって仕方がなかった。
(次回は6月16日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。