マクロビオティック・レストラン(18)
八月X日
朝七時、金を失くしたと言って叩き起こされる。ここのユース(ウィーン)で知り合った日本人で、千二、三百ドルのトラベラーズ・チェックと現金千ドル入りのカバンを、きのういっしょに食べに行った学生食堂に忘れてきた、と。イギリスで買った小さな車で彼は旅行しているが昨夜、車中で寝床をつくっているうちに、いつもより荷物の移動がスムーズだったので、何か足りないと気がついたらしい。さっそく、ふたりできのうのレストランに行ったが、だれも知らないと言う。「従業員にはイタリア人が多かったから、あいつらが猫ばばしたにちがいない」と彼はくやしがった。警察で盗難証明書をつくってもらい、アメリカン・エキスプレスに行った。金はニューヨークの「紅花」でつくったらしい。ハンガリーのビザを取る。三泊で五百三十五シリング(約二十七ドル)は高い。(三泊で五百三十五シリングというのは旅行者が最低その国で消費しなければならない金額。つまり、一日九ドルは使え、というわけである。)
八月X日
二時間四十分待ってユーゴスラビア生まれのオーストラリア人の車に拾われる。長いトンネルを抜けると、そこはユーゴスラビア。税関で最初、彼はユーゴスラビアのパスポートを見せたので、ナンバー・プレートから車をヨーロッパで購入したのではないかと疑われたが、それならと黄門様の印籠のように、もう一冊のオーストラリアのパスポートを見せて一件落着。最初から見せればいいものを、それをしなかったのは、水戸黄門が印籠を出すときの快感を、彼も味わいたかったのだろう。男には、そういうところがある。四十代の明るい男。二冊のパスポートを利用して、ときどき西欧に顔を出していると見た。デパートは物であふれ、西欧とすこしも変わらぬ。セイコーやヤシカもある。郵送用の紙とひもを買おうとしたら、タダでくれた。リュブリャナのスチューデント・ホテルにチェックイン(二十五ディナール、約五百円)。
八月X日
迷いはあったが再びアメリカに戻ることを決め、読み終わった本など余分な荷物をニュージャージーの澤田氏の家に送る。四・五キロで九十ディナール。手続きがめんどうだった。十一時半ホテルを出る。一時間くらい待って、青年の運転する五十CCくらいのバイクに乗せてもらう。バイクに拾われたのははじめてで躊躇する気持ちもあったが、一時間待ったあとでもあったので受けた。東欧に入ったという実感が湧く。背中に大きなバックパックを背負っているので安定が悪く、振り落とされないように荷台にしがみついていた。六十キロさきのポストーニヤという街で降ろされた。そこでまた一時間待って、ドイツ人の若いカップルに拾われる。リエカ泊。十七ディナール(約三百四十円)。夕暮れどきから男たちが、あちこちにたむろして異様なくらい。白い制服の婦人警官がかわいい。教会はすこぶる質素。聖職者は日本の坊さんのような黄色い袈裟を着、子供たちは普段着。 (次回は1月26日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。