〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」

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マクロビオティック・レストラン(20)

八月X日
スチューデント・ホテルは高いからユースホステルに移ろうと思ったら、また断られたため、予定を変更して午後二時三十分の汽車で、ソフィアに向かう。おれの旅は行き当たりばったりだから、ちょっといやなことがあるとすぐ変わる。フランクフルトで働いていたという母親と学校に行っていた十四歳の娘がおれの前に座ったが、娘が母親の隣でプレイボーイのような雑誌を見ていたのにはおどろいた。マセるはずだ。ソフィアには二十三時三分に着く予定で、時計も見ていたのに乗り過ごした。おかしいと思ったら、サマータイムで一時間、針を進めなけらばならなかったのだ。旅行案内書がないと、こういうとき困る。そのせいで、さきのプロブティブというところまで降りられず、検札に乗り越し分、ソフィア――プロブティブ間の代金三・八レフを要求された。ブルガリアの金を持っていなかったので百オーストリア・シリングを渡すと、四レフのつりがきた。どうも計算が合わない。あとでレートを調べたら、二十シリングが一・八五レフだから、一・四五レフほど払い過ぎた勘定になる。騙したわけではないだろうが車中で他国の金を使うのは不利だ。途中で眠って、プロブティブをまた通過するところだった。夜中にプロブティブ駅に着いたので、そのまま土間に寝袋を広げて寝ていたら、午前三時半ころ、「もう、閉めるから」と駅員に追い出された。仕方なく駅前のベンチで寝る。

八月X日
朝、人の声で目が覚めた。なんと、おれは通勤客のど真ん中で寝ていたのだ。裸で寝ていたので起きるに起きられず、人通りがすくなるなるのを待ったが、トイレに行きたくなって、ごそごそと起きる。通勤風景はどこも変わらない。四方から現れて、駅に吸いこまれて行く。ソフィアまでの切符を買おうと思ったが、朝めしをさきに食ったので、きのうもらったつりだけでは足りなくなった。銀行は遠く、駅の両替所は閉まっている。共産圏はどうも不自由だ。両替所が開くまで待つ。三・三レフ(五百円)。来るときと料金が違う。きのうはソフィアからここまで乗り越し分として三・八レフ取られた。いったい、どうなっているんだ? 十四時二十分の汽車に乗る。ソフィアではユースホステルもスチューデント・ホテルも満員。ふつうのホテルは七・五レフ(千百三十五円)と高い。よってユースの中庭で野宿。

九月X日
スボティカで二時間待ったあと、次の列車でようやく国境を超える。国境では税関、両替屋、検札と双方の国から交互に現れ、計七度も夜中に起された。午前四時ブタペスト着。駅で二時間ほどうたた寝。駅の売店でセブンスターとホープを見る。ユースに行ったが満員で断られ案内所に行った。三、四十メートルの長い列ができていた。そこでホテルを紹介してくれるらしい。いちばん後ろに並んでいたら、三十過ぎの背の高い女が寄ってきた。一泊百フォーリン(千二百円)でどうかと訊く。少々高いが、仕方がない。彼女について行った。ふつうのアパートだった。こっそり貸して小銭を稼いでいるのだろう。共産圏の裏を見た思いがした。    (次回は2月23日号掲載)

〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。

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