〈コラム〉子供たちの短歌が大人を救う

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倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第48回

筆者が所属する一般社団法人倫理研究所では、2005年から毎年「しきなみ子供短歌コンクール」(※)を主催している。今年も全国各地の小学校や教育委員会を通して、6万2000人から応募があった。
10回目となる節目の表彰式は、去る2月15日に東京の明治神宮会館で開催。約1600名の参加があり、会場は満席だった。低学年、中学年、高学年から1名ずつ選ばれる「しきなみ子供短歌賞」の受賞者には、併せて文部科学大臣賞も贈呈される。今回は初めて下村博文大臣にお越しを願い、みずから表彰状を手渡していただいた。
この表彰式では毎回、最優秀の短歌3首の披講(ひこう)を行う。もともと和歌は文字で書かれるだけでなく、声を出して「うたう」ことで情趣が深まる。宮中歌会始の儀に準じた古式ゆかしい和歌の披講を学んでいる「星と森披講学習会」の皆さんが、伝統衣装に身を包んで登壇すると、場内はたちまち平安時代を思わせる雅(みやび)の世界と化した。
私どもは社会教育団体として、年間に大小ざまざまな行事を行っているが、この子供短歌コンクールの表彰式がいちばん楽しい。なぜなら、素晴らしい短歌を作ってくれた子供たちと会えるからである。子供たちの短歌はなぜ素晴らしいのか。
第1に、その「清々(すがすが)しさ」をあげたい。『万葉集』にはいくつもの歌に「清」という文字が出てきて、「きよし」「さやか」「あきらか」「すがし」などと訓む。雨上がりの朝日、闇夜を照らす月影、可憐に咲く野の花、林間にこだまする野鳥の声…。日本の自然には清々しさがあふれている。そうした情景に触れると、人の心も清々しくなる。清浄で清明な心の純粋性こそ、古来の日本人がもっとも尊んできたものだ。邪念や私心のない子供たちの歌はなんとも清々しい。
第2に、子供は大人とは違う能力を持っていることが、短歌を通して感じ取れる。「7つまでは神のうち」と言われてきた子供たちは、万象の根源である「隠れた次元」とのつながりが強いのであろう。感性がきわめて鋭く、心の自由度も純度も高い。ゆえに草木のもの言う様や、根源的な「いのち」のリズムを直覚できる。そこから自在奔放な発想も生まれる。小学2年生の女の子がこんな短歌を詠んでくれた。

ゆうやけがくろいおやまをのみこんで ほしとつきとがうまれたんだよ

2年生の男の子の次の作品は、なんとも日本人らしい。

夏休みぼくが行くとこ雨ばかり 雨の神さまいつもいっしょだ

いまや、子供時代に、子供としてしっかり生きられなかった大人たちが増えているのではないか。そういう人には、ぜひとも子供たちの短歌を味わってほしい。想像力さえ豊かであれば、もう一度、自分の子供時代を生き直すことができるであろう。それは、大人たちにとっての救いなのではないだろうか。
(次回は4月第2週号掲載)

(※)「しきなみ子供短歌コンクール」の詳細は次のアドレスを参照ください。www.rinri-jpn.or.jp/business/culture/03/

20141214_Mr_Maruyama〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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