倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第50回
「近代」と呼ばれる時代は、「自由」に基づく経済(自由主義経済)、「平等」に基づく政治(民主主義)、および「科学技術」の発達に伴う産業の一大変化(産業革命)を特質とするならば、それは18世紀半ば以後のヨーロッパに始まった。
近代の経済と産業革命が生まれたことに関して、興味深い逸話がある。古典的名著『国富論』によって「近代経済学の父」とか「資本主義の生みの親」と呼ばれるアダム・スミス(1723~90)は、実は経済の専門家ではなかった。哲学や倫理学を修め、母校のグラスゴー大学に論理学および道徳哲学の教授として迎えられる。当時はまだ「経済学」という学問分野はなかった。道徳哲学は今日のように狭い分野ではなく、いわゆる社会科学の領域もカバーしていた。
人間のよりよい生き方を広く探究したスミスは、世の中の経済活動の重要性を認識し、その方面の研究にも当たった。そして道徳哲学の主著として『道徳感情論』を世に出し、後に副産物として『国富論』を刊行する。
アダム・スミスが教授だった頃、同大学に、機器製造の事業を志す才能ある若者が雇われていた。ジェームズ・ワット(1736~1819)である。ワットは天文学の計測器の調整で大学側から認められ、構内に実験器具を製造修理する工房を持つようになる。彼の仕事を支援した一人がアダム・スミスであった。ワットは1765年に蒸気機関を実用的に大改良し、それが産業革命をもたらした。なんと両雄は、スコットランドのグラスゴーという商業都市で親しい出会いを遂げていたのである。
それから約250年を経た今日、近代文明の行き詰まりは明々白々だ。資本の自己増殖を原理とする資本主義は、新たなフロンティアの開拓を求めてグローバル化した。そしてついには金融というバーチャル空間を創出し、制御が困難な経済システムとなってしまった。科学技術の目覚ましい発達によって、産業は複雑に多様化し、便利で快適で豊かな生活を人々にもたらしたものの、異様な管理社会をも産み出してしまった。地球の資源を無闇に使い、自然環境の悪化にも歯止めがかかってはいない。
近代文明の行き詰まりを打破するために、いま一度、原点に立ち戻る必要があるだろう。アダム・スミスは自由勝手な経済活動を奨励したわけではない。人々の「同感 sympathy」が得られる行為を強く求めた。「同感」とは他人の喜びや悲しみや怒りなどの諸感情を自分の心の中に写しとり、想像力を使ってそれらと同様の感情を引き出そうとする情動的な能力をいう。それを失うと社会の秩序は乱れる。スミスはまた、当時すでに起きかけていたグローバリゼーションにも警告を発していた。
技術開発がもたらした豊かさも、真に人類の幸福につながっているのかどうか見直す必要があろう。生活の豊かさということの意味を新しくとらえ直すのだ。経済成長や便利な機器がなければこの世は闇になるといった先入観から、自由になる道を模索する時期に至っているのではないか。前途はなかなか険しいが、希望はある。 (次回は6月第2週号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。