〈コラム〉ケン青木の新・男は外見 第99回

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“パンツ”について その8

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時々“たかが服のことで毎回よくあれだけ書くことがあるねえ…”などど言われることがあります(苦笑)。正直、残念なお話ではあるのですが、ある意味、日本の一般男性の服飾に対しての意識また偽らざる本音でもあるのでしょう。そして、その本音こそが日本の一般男性が服と服が持つ、無言にして自らを雄弁に語ってしまう力を過小評価している証(あかし)の一つであるようにも思うのです。
服の歴史とは、人間の文明の歴史そのものという事実を忘れてはいけないと思います。洋の東西を問わず、服を理解せずして人間の心理の理解はできない、進まないと言ってもいいくらいなのです。
日本の国の歴史をざっと振り返ってみますと、日本は“瑞穂の国”、つまり、お米の国ですね。士農工商という社会の身分固定システムが定着した江戸時代には、日本の人口の8割強が農民で、基本的に皆同じ格好、すなわち綿の藍染めの服の着用を幕府によって強制させられておりました。もしかすると、ここに日本人男性の紺のスーツ好きDNAのルーツがあるのでは? などと勘ぐる向きもあったりするようですが、皆同じような紺の服を着て安心、という点においては確かに当たらずとも遠からずなのでは? などと思ってしまいます(苦笑)。
日本という国の良さ、強みは教育水準が高い中間層の分厚さにある、いやあったと言われて来ましたが、世界の大都市とは“村”ではなく、“町”であり、そうなりますと町においては必然的に横の集団的なつながりは希薄となり、よりインディビジュアルな部分にスポットが当たらざるをえません。
21世紀とは、私たちにとっての伝統的な日本人らしさ、すなわち“村的共同体社会の意識”を精神的つながりとして維持しつつ、より“個”に磨きをかけていくことが大切となるのではないでしょうか。その手段の一つが“装い”を楽しみつつ、内面を向上させていくことなのではないかと思うのです。
(次回は1月16日号掲載)

32523_120089421361491_100000813015286_106219_7322351_n〈プロフィル〉 ケン青木(けん・あおき) ニューヨークに21年在住。日系アパレルメーカーの米国法人代表取締役を経て、現在、注文服をベースにしたコンサルティングを行っている。日本にも年4回出張。

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