ニューヨークに出てきたころ〜
この街で食器を売り始めるまで
子供の頃から海外へ渡るのが夢でしたが、教育実習で教育の素晴らしさに気づいて教員に路線変更。母校で1年働いたのち、まだまだ自分の人格形成ができていないと気付かされます。それでまずは子供の時からの夢の「海外」で経験を増やそうと決め、2年後に単身ニューヨークへ。ですが、すぐに資金が尽きました。
ご飯も食べられないくらいで、日本食レストランで働きはじめます。1981年の年末、弁護士が「あと半年で永住権が取れますよ、アメリカに残りますか?」と。それで翌年のお正月、ここ(ニューヨーク)でやっていくことを決めました。とはいえ、果たして何をすればアメリカで生きていけるのか。それを考えるために、1週間のお正月休みを使って、人生の棚卸しをしました。好きなこと、あまり好きじゃないこと、持っているもの、持っていないもの、できること、できないこと…1週間かけて考えぬいたのです。
好きなことは何か、一生かけてやっていっても絶対に飽きないでパッション持ってやり続けられるものは何か。母からもいつも「できないことや持っていないものは忘れて、できることにだけ集中しなさい。」と言われていたことを思い出しました。
持っていないものはお金と経験。お料理はプロじゃない、経営の知識もまだない。けれど若く、健康。そして日本食レストランの内情がわかっている。また、子供の頃からお皿や器が大好きで集めていたことを思い出しました。それまでは精一杯で余裕がなく、子供の時から好きだったことをすっかり忘れていたのです。お茶もお花も着付けもそれらを海外で教えたいという思いがあったから学んだこと、卒業論文も日本の伝統文化がどのように海外に受け入れられるかだったを思い出しました。
瀬戸物を集めるのが大好きだったので、それを行商して歩いたらどうだろうというのが、思いついたアイディアでした。大きな店舗はいらない。在庫は自分の家に置けばいい。夫婦ふたりで食べていけるくらいならできるだろう、と「好きなもの」と「出来ること」を掛けあわせたビジネスを考えだしたのです。
(第2章につづく)
かわの・さおり 1982年に和包丁や食器などのキッチンウエアを取り扱う光琳を設立。2006年米国レストラン関連業界に貢献することを目的に五絆(ゴハン)財団を設立。07年3月国連でNation To Nation NetworkのLeadership Awardを受賞。米国に住む日本人を代表する事業家として活躍の場を広げている。
(2016年7月9日号掲載)