〈コラム〉怠りなく努めよ

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丸山敏秋「風のゆくえ」第27回

江戸時代中期に現れた本居宣長(1730〜1801)は「国学」の大成者と知られる。伊勢松坂の人。裕福な木綿商の次男に生まれた。
少年の頃から勉強が好きで、手当たり次第に本を読み、和歌もつくった。兄が亡くなると家業を整理し、母親の勧めで京都に出る。医師の修行をしつつ、漢学や国学を学んだ。
宣長は一度読んだ本の内容を忘れない。その読み込みはまことに深い。『源氏物語』は生涯愛読した。郷里に帰ると、小児科医として生計を立てつつ、日本の古典研究に打ち込んだ。
努力する人には運が向く。松坂を訪ねていた国学者の賀茂真淵と一夜の出会いを果たし、34歳の宣長は本格的に『古事記』の研究に入る。『古事記』は日本最古の書物と伝えられてきたものの、それまで誰も読めなかった。苦節35年、宣長はこの古書を完璧に読解し、詳しく注釈した『古事記伝』44巻を完成。驚くべき偉業である。門人たちには源氏や万葉など古典の講義を死ぬまでつづけた。
この市井の大学者は、最晩年に弟子から請われて『宇比山踏(ういやまぶみ)』を書き残した。初学の門人に対する入門書である。そこには学問の要諦がこう書かれている。「詮(セン)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(ウマ)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠(オコタ)りてつとめざれば、功はなし」
学び方など気にしなくてよい。とにかく怠らず、励み努めるべし。それは著者自身が肝に銘じながら、実践してきたことだった。
この戒めは、学問のみならず、仕事でも修行でも、あらゆる分野に通じるだろう。二宮尊徳も言う――「大事を為したいときには、小事を怠りなく勤めよ。小が積もって、大となるからである」。これも尊徳自身の経験に裏打ちされた言葉だ。
最古の仏典『ダンマパダ』(『真理のことば』)にはこうある――「怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている」。釈迦(ブッダ)はさらに入滅のとき、弟子にこう述べたという――「この世の中のすべては移ろいゆく。ゆえに怠りなく(修行に)努めなさい」。
あたりまえのことこそ、実行が難しい。日々コツコツと努力を重ねるのは大変なことだ。いつしか根気は萎え、怠け心が起こる。最近では「そんなに頑張らなくていいよ」と諭す輩も多い。だが、努力なくして何ができるのか。
さすがに本居宣長は、弟子が弱音を吐くのを見越して、先の書物でこう加えている――「怠りなくつとめるには、志を高く大きく立てよ」と。二宮尊徳もまた釈迦も、きっと「そうだ」と同意するであろう。
(次回は7月6日号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数

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