〈コラム〉草は風になびく

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丸山敏秋「風のゆくえ」第22回

だれでも『論語』の言葉の一つや二つは知っているだろう。「故(ふる)きを温ねて新しきを知る」とか「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とか「十有五にして学に志し…」だとか。
『論語』は孔子とその高弟の言行を記録した書物である。512の短文がほぼランダムに全20編で構成されている。各編の名称は「学而」「衛霊公」など本文の最初の2文字または3文字を採ったものにすぎず、内容とは無関係。だから、どこから読んでもいい。
日本人は大昔からこの書物を、道徳・為政の教科書として活用してきた。寺子屋の子供たちも最初に暗誦させられた。まさに古典中の古典である。
筆者が好きな名言を一つ。
――「君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草、これに風を上(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す」(顔淵)
君子は立派な人格者、小人は凡庸な者のこと。君子の徳を風にたとえて、「草は風に吹かれれば必ずなびく」と教えている。
どんな会社にも風が吹いている。「社風」という風だ。風は空気の動きである。空気の質も動きも、会社の中心に在る経営者の人格、すなわち徳の現れにほかならない。
人格者が起こす風は、草をなぎ倒すような強風である必要はない。そよ吹く微風であっても、草はそれを受けてなびく。「社徳」に等しい自分の会社の風を、経営者はしかと感じ取れているだろうか。
たとえば社屋に一歩踏み入るだけで、社風の一端が感じられる。汚れていたり、物が乱雑に置かれていたりすると、「ああ、こんな程度の会社か」と訪問者は思う。すれ違った従業員が挨拶もしなければ、「おやおや」と呆れてしまう。
好ましい社風は、一朝一夕にできるものではない。日常の誠意と真心のこもった仕事ぶりの積み重ねが、良き社風をつくる。小さな所からこそ、風は吹いてくるのだ。
だから日々の「小さな実践」を重視したい。挨拶、返事、後始末、清掃、感謝のひと言、気づいたらすぐする、約束厳守…。そうした日常卑近な実践に、経営者みずからが心を込めて取り組むことで、人格は磨かれ、それが社内に及ぶ。
『論語』には「切に問いて近くを思う」(子張)という言葉もある。切実な疑問をとらえ、それを自分自身の問題として思索をこらせ、という教えだ。どうして売り上げが伸びないのかと悩んだら、平素の自分の言動に何か問題がないかどうか考えてみたらいい。きっと何か怠っていたことに気づく。
気づいたら、直ちに改めるよう努める。たとえ小さなことでも、その真摯な実践が新しい風を生む。「道は近きにあり」(『孟子』)なのだ。無理して遠くに求める必要はない。
(次回は2月9日号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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