〈コラム〉案ずるより産むが易し

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丸山敏秋「風のゆくえ」第19回

人生航路でも風が止まってしまうことがある。追い風も向かい風も吹いてこない。五里霧中の迷路に入り込んだように、動こうにも動けない。考えても考えても、アイディアが浮かばないときがそうだ。
筆者の場合、連載原稿を毎月数本かかえている。〈よし、あれについて書こう〉とテーマや書きたいことがハッキリすれば、一気呵成にキーボードを叩ける。体調がいいと、頭の回転もよくなり、容易に書ける。
だが、そうとばかりはかぎらない。テーマがちっとも浮かばない。締め切りの日は迫ってくる。焦るとますます書けない。さて、どうしたらいいか。
五十の坂を越えてから、あるコツが呑み込めた。――とにかく書き始めてしまうのだ。なんでもいいから、文字にしてしまうのである。
たとえば、「最近の日本は」とパソコンの画面に打ち出す。つづいて頭に浮かんだ文句をつなげていく。「領土問題が起きて」とか「台風十七号の被害が大きく」とか、考えないで(ここが肝心)とにかく書いてしまう。
面白いもので、少しでも何かを書けば、そこから頭が動き始める。ある文字が次の文字を生み、ある文章がつづく文章を呼び込むようになる。やがて書きたいテーマがはっきりしてくる。
そうしたら、最初に書いたものは捨ててかまわない。車を動かすのと同じである。エンジンをかけないかぎり、車は絶対に動かない。
要は、考えるのをストップして行動に移す、動きを起こしてしまうのである。「案ずるより産むが易し」と言うではないか。
そんな五里霧中を抜け出すコツをつかんだぞと得々としていたら、なんのことはない、スイスの法学者であり哲学者のカール・ヒルティ(1833〜1909)が同じことを言っていた。有名な『幸福論』の冒頭部分に次のようにある。
「ひとたびペンなり鍬なりを手にして、最初の一字を書くなりあるいは一打ちをするなりしてしまえば、事柄はすでにぐっとやさしくなっているのである」
さすがはヒルティ先生、どうしてその初動に踏み込めないのか、理由をちゃんと書いておられる。――そういう人の背後には「怠惰が隠れている」と。鋭いご指摘ではないか。
人はだいたいが怠惰である。生まれつき勤勉という人は少ない。怠惰な人は、努力を惜しむ。ろくに仕事もせず、うまい物は食べたい、楽をしたいと願う。動くのを嫌うから、いつもグズグズしている。それでいて不平不満ばかり吐く。おのずと健康は損なわれ、自ら不幸を招いているのだが、それと気づかない。怠惰とは「わがまま」の別名であろう。
風を呼び込むのは自分自身、他の誰でもないのである。 (次回は11月10日号掲載)
maruyama 〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。

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