丸山敏秋「風のゆくえ」第18回
今年の夏はロンドン五輪に世界が沸いた。204もの国と地域から参加したとは驚きである。しかし全競技(302種目)を通じてメダルを獲得したことのない国が80カ国もあるという。
日本勢の活躍はなかなか見事だった。38個のメダル総数は世界で6位。しかしながら男子柔道は惨憺たる成績だった。「どんな稽古をしてきたんだ」「お家芸が泣くぞ」と批判囂々。だが、そうは思えない。すでに柔道が変わってしまったからである。
国際化した柔道は、海外で「ジャケット・レスリング」とも呼ばれ、嘉納治五郎が創始した講道館柔道ではなくなってしまった。柔よく剛を制すのが本来の柔道精神。しっかり組み合って技を掛け合うところに醍醐味がある。
ところが今や組み手争いは、まるでレスリングかボクシングを見ているようだ。少しもつれると審判は「待て」と選手を引き離し、技といえないちょっとした返しでも「効果」とか「有効」にしてしまう。機をうかがっていると、ファイトが足りないとまた減点。なんとせせこましい格闘技になってしまったことか。ポイントを取り合うスポーツに化してしまった。
ある伝統競技が国際化されるのは、喜ばしい面もある。経営的にも「連盟」の懐は温かくなるだろう。しかし国際化によって、本来の姿から離れていくことを、柔道は如実に示してきた。
経済や経営の国際化が進むなかで、日本なりの経済政策や日本的経営が破壊されたことを想起してしまう。ならば鎖国したらいい、とは極論だが、外に開くことが必ずしもよろしくないとの認識は必要であろう。
柔道と共に日本の伝統武道である剣道は、国際化を図らない。だからオリンピックの種目にはならないが、それはそれでよいと関係者は涼しい顔だ。
国技とされる相撲の世界にも外国人力士が急増した。しかも強い。ところが相撲のルールも儀礼も昔と少しも変わっていない。外に出て行くのでなく、内に引き込んだからだ。
オリンピックや国際大会に出場する柔道の日本代表選手団は、出発前に必勝祈願として嘉納治五郎の墓参りをするのが恒例になっているそうだ。あの世で嘉納先生はなんと思われているだろう。| |「正統の柔道を復活して、もっと真摯に心技を磨き合え!」とおっしゃるのではないだろうか。
第32代の内閣総理大臣で、敗戦後に文官で唯一のA級戦犯となったのが広田弘毅である。広田は、少年期から柔道に励み、のちに嘉納治五郎にも弟子入りした。
城山三郎が広田を主人公にした伝記小説のタイトルは『落日燃ゆ』。目下の日本柔道は、燃えない落日のようになってしまった。
切ないとはいえ、事が柔道だけではないことに、しっかりと目を配りたいものである。
(次回は10月13日号掲載)
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『今日もきっといいことがある』(新世書房)など多数。