〈コラム〉「そうえん」オーナー 山口 政昭「医食同源」

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マクロビオティック・レストラン(10)

持って帰って読んだ本のなかに『日はまた昇る』がありました。夢中で読んでいるうちに、ふと大変なことに気がつきました。題名の『日はまた昇る』です。原題は『The Sun Also Rises』だから、ほんとうなら『日もまた昇る』でなければなりません。なぜだ? 気になったら、とことん追求したくなる性分です。小説の舞台のパンプローナ(スペイン)まで行ってみようと思いました。それも小説と同じ「牛追い祭り」のときに。
パンプローナは、ものすごい人でした。当然泊まるところなどありません。毎日ほかの旅行者といっしょに草むらの上で寝ていました。
「日は」か「日も」の問題は、結論を得ないまま何年かすぎました。ヘミングウェイが生きていたら訊いてみるのだがと思っていたら、現われたのです。―いえ、ヘミングウェイの幽霊ではありません。彼の孫で女優のマリエル・ヘミングウェイです。
彼女を最初に見かけたのは、ウディ・アレンの「マンハッタン」(七十九年)に出演した、彼女が十八、九歳のころです。アップタウンの「そうえん」によく豆腐パイを食べにきていました。特に目立つ女性ではないのですが、ヘミングウェイの孫ということで私はいつも特別な目で見ておりました。話すことも、たまにはありました。
近所の書店に『日はまた昇る』の原書を買いに行きました。パンプローナに行ったときの体験をもとに短編を書いていたのですが扉の裏のページの『伝道の書』の英訳がどうしても必要だったので。
本を手にして、ソーホーの私のレストランに行ったら、マリエルが来ていたからびっくりしました。彼女に逢うのは何年かぶりでした。
「いままで、どこに隠れていたんですか?」ヘミングウェイのことを考えながら歩いていたから、ヘミングウェイ本人に出会ったくらいの興奮を覚えました。うれしさを隠すように軽口を叩きました。
「ヨーロッパに住んでいたの」憶えていたのでうれしかったのでしょう。そう言いながら立ち上がって私の両頬にキスをした。
「この袋の中に何が入っていると思いますか?」待ちきれぬようにして私は『日はまた昇る』を取り出した。「まあ!」と彼女は小さく感嘆した。「でしょう。原書など、めったに買うことはないんですよ」
おどろいたことに彼女は、この本をまだ読んでいなかった。祖父がうつ病で自殺したので読むのがこわいのではないか、と疑ってしまった。
質問をぶつけると、「Alsoのほうが、Againより詩的だから、敢えてAlsoにしたのかしら。今度読んでみるわ。わかったら、教えてあげる」  (次回は9月15日号掲載)
〈プロフィル〉山口 政昭(やまぐち まさあき) 長崎大学経済学部卒業。「そうえん」オーナー。作家。著書に「時の歩みに錘をつけて」「アメリカの空」など。1971年に渡米。バスボーイ、皿洗いなどをしながら世界80カ国を放浪。

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