龍村ヒリヤー和子〜情熱とコンパッションの半生記〜
第8回 ビーコン・シアターを復活させた話(1)
私は本当にラッキーな人だと思うんです。何かやりたいと思ったら、どんなに大変なことでも、“必ず”できるんです。できる方向に向かって物事が動いていくの。勿論、大変なことを数々経験しているんだけれども、最終的にできるんですよ。ビーコン・シアターの話一つをとっても、危機一髪で何とかなった面白い話がたくさんあるのよね。
ダンスカンパニーのNY公演をプロデュース
1970年代のある時、アルビン・ニコライ(Alwin Nikolais)っていうダンスカンパニーのニューヨーク公演をプロデュースすることになってね、でも会場がどうしても見つからなくて。探し続けたのだけれども、そんな時誰かに「ビーコン・シアターっていうのがアッパーウェストにあるよ、汚いけどね」って聞いたんです。
すぐに見に行って、10月に公演の約束をしていてその時もう6月でしたから、ここで決めるしかもう手が無い。それで1万ドルのデポジットを払って、7~8月と日本へ出張に行きました。9月になって帰ってきて劇場の前へ行ったら、何とドアにバッテンがしてあって。クローズって書いてあるんです。これはなんだろうと思って、隣に立っているビーコンホテルへ行ってみたら、あの人は夜逃げしちゃったよ、っていうんです。
オーナーに潰すと言われ
私がオーナーだと思っていた人は、実はオーナーではなくて、リースで借りているだけの人で、その人が色んなところと契約していたんだけど、全部の契約料を持って逃げちゃったって! 本当のオーナーはヘンリー・モスコビッツさんという名前だと聞いて、それで彼に会いに行ったら、なんと、建物はもうぼろぼろだから、来週から劇場の解体作業に入るところだったて言うんです。その時、ホテルがビーコン・シアターのオーナーだとわかりました。
1階はスーパーで2階と3階はこうしてああしてと、もう新しい建物のプランも決まっていると。それで、こんな素敵なシアターなのに、確かに老朽化はしているけれど、潰すことないじゃないですか!って言ったんです。でも、共同オーナーがどうしても潰すっていうから仕方ないでしょう、と言われてしまって。
諦めきれず、翌日また会いに行ったんです。それで、私が10年契約します、それだったら良いでしょう?って言ってしまって。1カ月に1万5000ドルの賃貸契約で、本当に10年分契約したんですよ。そうしたらね、ちょうど歌舞伎の話が来たんです。猿之助さんたちが9月にニューヨークで公演をしたくて、来るっていうんですよ。
その頃、レナード・バーンスタイン(「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲家)がしょっちゅう私のアパートに遊びに来ていたんです。リビングに置いてあったピアノ弾いたりね、ベーグル食べたりして、ただ話をだらだらしてね。ちょうど、このタイミングで彼が遊びにきたから「どうしよう。なんとかして劇場を保存したいんだけど、どうしたらいい?」って聞いたら「あっ、じゃあグレースに電話してあげる」って言われて、ささっとうちの電話で電話しはじめたんです。私は「ふーん、グレースっていうお友達がいるんだね」くらいに思っていたら、なんとそれが、モナコ公妃のグレース・ケリーで。バーンスタインは「基金(Foundation)を作るからチェアマンになってくれる?」ってすごい速さで思いついて、提案しちゃって。そうしたら、ケリーさんが「はい」って返事しちゃったんですよ。おまけに「オープニングイベントをするから来てね」ともお願いしちゃって、ケリーさんはまた「はい」って言ってくださって、本当に来てくださったんですよ。彼が私のアパートに遊びに来ていて、本当に助かったんです。その時の顔ぶれ、すごかったんですよ。エリザベス・テイラーさんとかね。とても有名で影響力のある方々が一人1000ドルずつ出してくれてすぐに、200万ドル集まったのですよ。
(次回は1月13日号掲載)
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●ビーコン・シアター(Beacon Theatre) ●
アッパーウェスト地区に1929年に創立されたアールデコ調建築の2900席のシアターで、映画の上映から、コンサートや演劇等の上演にまで幅広く使用される。77年、オーナーが劇場を潰して、新規事業を始めようとしていたところ、龍村さんがその危機を救い、劇場存続の立役者となった。79年にニューヨーク市の歴史的建物保存委員会(NYC Landmarks Preservation Committee)から保存対象の指定を受ける。現在はマディソン・スクエア・ガーデン社が管理しており、2009年に2回目の大規模な改築工事を行った。
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龍村ヒリヤー和子(たつむら・ひりやー・かずこ) 東洋医学医師、人道活動家、Gaia Holistic Inc代表。
兵庫県宝塚市生まれ。音楽家にあこがれ幼少時よりピアノに親しみ、桐朋学園大学を卒業するが、1961年に渡米しボストン大学・ニューヨーク大学を卒業後、音楽家ではなく国際興行主としての活動を開始、グローバルな舞台芸術と文化交流の先駆者なる。世界各国の首脳やセレブリティーが関わる歴史的記念イベントの制作・演出などにも関わり、公式な外交関係のない国家間の文化交流促進にも寄与するなど多大な貢献を重ねてきた。世界中で毎年1年2000回のプロデュースを手掛け、148カ国以上を訪れ、何度も表彰されている。
2000年より東洋医学の医師に転身、01年ガイア・ホリスティック・サークルを設立し代表に就任、07年には出版社「心出版」を立ち上げる。世界各地の避難民、戦争犠牲者、ホームレスや家庭内暴力の犠牲者などの救済を行うなど人道的活動においても多大な貢献を続けており、世界各地での慈善事業に従事する他、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と共にチベット孤児の教育活動に従事している。遠赤外線温熱療法にテラヘルツを組み合せた独自なホリスティック療法は世界的に評価されている。今は世界の会議から招待され、発表、教育をしている。
01年、9・11の米同時多発テロ悲劇のすぐ後にガイア・ホリスティック基金を創設。「212-799-9711まで、お電話ください。感謝合掌 和子」
(2017年12月16日号掲載)