〈コラム〉鉄砲を捨てた日本人

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倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第80回

去る10月1日にネバダ州ラスベガスで、なんの罪もない59名が銃の犠牲となる悲劇が起きた。単独犯による銃乱射事件としては、アメリカ史上最悪の被害。犯人の男は警察官の突入前に自殺。動機や経過など詳しいことはわかっていない。

この事件を受けて、アメリカ議会上院では民主党の議員らが「殺傷能力を高める部品の一般への販売などを禁止する」などの規制を強化するための法案を提出。他方、全米ライフル協会は「一人の狂人の行動に基づいて禁止しても襲撃事件がなくなるわけではない」と声明を発表し、銃規制の強化に反対した。

アメリカ合衆国憲法修正第2条にはこうある――「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」。銃規制反対の根拠になっているこの権利が、これから変更される可能性はあるのだろうか。

日本の場合、銃砲刀剣類所持等取締法によって厳しく規制されている。この法律は世界的に稀なほど規制が強いらしい。事実、日本の殺人事件における銃器使用の割合は全体の3〜4%とわずかにすぎない(世界で2番目に低い)。そもそも銃の所持の必要を、ほとんどの日本人は感じてなどいないのである。

少し歴史をたどってみよう。1543年に種子島に鉄砲が伝えられると、数年後には火縄銃型の国産の鉄砲が製造され、量産されていった。なんと戦国時代の織田信長の頃には、50万丁以上もが国内に存在していたといわれる。日本は当時、世界最大の銃火器保有国だった。

ところがその後、まことに不思議なことが起きる。豊臣秀吉は一揆に対する予防措置として「刀狩」を命じた。徳川時代の1689年には諸国鉄砲改めにより、全国規模の銃規制がかけられた。以後、戦闘集団である武士階級は厳然と存在するにもかかわらず、彼らはほとんどの銃火器を放棄し、再び刀と槍の時代に逆戻りしたのである。

この「軍縮」は欧米の軍事史と比べるとあまりにも特異だと、ニューヨーク生まれの作家ノエル・ペリンは『鉄砲を捨てた日本人』(1984)を書いて世界に紹介した。江戸時代とはそれだけをとっても、実にユニークな時代だったのである。

鉄砲製造という高い技術力をたちまちものにしながら、武器というものは必ずしも〝進化〟させなくてもよいという観点が日本にはあった。それをわれわれは大いに誇りに思ってよいのではないか。

ちなみに映画『ラストサムライ』は、西洋風に鉄砲を装備していた明治政府軍に対し、刀を振り回す古風なサムライの一団が敗北する話になっている。軍人たちが「武士道精神」を取り戻した瞬間を描きながらも、結局は近代兵器の前にサムライの刀剣は及ばないとのメッセージが込められている。近代社会の「軍縮」とはかくも難しい。

前々から国際的な軍事問題に、核開発の是非がある。政治家や軍事関係者には、かつて「鉄砲を好いた日本人」がいたことを、ぜひ知ってほしい。捨て得た理由を、ぜひ研究してもらいたいものである。

丸山敏秋

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。

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