倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第79回
英語はいまだに生かじりの筆者だが、ずっと以前に「英語って敬語が少ないから楽ですね」と口走ったところ、「とんでもない」と英文科出身の先輩から叱られた。微妙な言い回しで相手に敬意を示す表現は、英語にも数知れずあるという。
それはともかく、日本語の敬語(尊敬語や謙譲語)が非常に厄介なのも事実で、日本人もよく間違えるし、外国人の日本語学習者を悩ませている。最近の日本人の敬語表現でとくに気になるのは、やたらへりくだろうとする意識を感じることである。
去る9月24日の産経新聞の1面コラム(産経抄)に、「現代の若者の妙にへりくだった言葉遣いが耳に障る」という女性読者からの便りが紹介されていた。「決定させていただきました」「感じさせていただいてます」等々。
これはまったく同感で、筆者もよく注意する。たとえばある行事の司会者がリハーサルで「○○(自分の名前)進行させていただきます」と言ったら、即座に「進行いたします」に直すよう注文をつける。若い講師が壇上で「これから講演をさせていただきます」とへりくだったつもりで言ったなら、あとで「あれは気色の悪い表現だからやめなさい」と注意する。なぜ、よろしくないのか。
同コラムにも書かれていたように、動詞に「させていただく」をつけるのは、本来は行為について相手の許しを請う言い方である。なのに「決定させていただきました」とは卑屈に過ぎる。「決定いたしました」でいいではないか。「させていただく」を連発するのは、へりくだっているようで、真逆の印象を与えてしまう。
「させていただく」の裏側には、「相手との距離を測れない不安」が潜在しているとも同コラムは指摘している。これも同感。世の中で上下関係の厳しさが薄れ、敬語を使う訓練をしていないから、そうした不安が生じてくるのだ。「させていただく」と言っておけば無難だろうという、甘えの意識も気に障る。
敬語のみならず、おかしな日本語は常日頃いくらでも耳する。「やらさせていただきます」の「さ」は余計だ。「拝読いたしました」とか「拝見いたします」は「拝読しました」「拝見します」で十分。部下から「ご苦労さまです」とねぎらわれると、不愉快な気分になる。目上の者に対してはせめて「お疲れさまです」だろう。それも言い方によっては気になる。「さま」には要注意だ。「お世話さまです」よりも、「お世話になっております」の方がはるかに好ましい。
手土産を渡すときに「つまらないものですが」と添えるのは昔からの常套だが、最近では通りが悪い。「ほんの気持ち程度ですが…」の方がよろしかろう。上司には「了解しました」でなく「承知しました」を使うがよい。「申されていました」は禁句。いやはや枚挙にいとまがない。
ファミレスで「アイスコーヒーのほうお持ちしました」とか「千円からお預かりします」とか言われて何も違和感を覚えなくなったら、自分の言語感覚は滅びたも同然と思わなければなるまい。
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。