倫理研究所理事長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第64回
午前4時前後に目覚めると、飛び起きて身支度を調え、自転車に乗る。10数分走ると、東京都立小金井公園の東門に着く。そこから園内を歩いて1周すること約4.5キロ。途中のアスレチック広場では、器具を使った運動をして、また歩く。
家に居るときのこの日課を始めてから、6年ほどになろうか。上野公園の1.4倍ある小金井公園は、桜の名所としても知られる。武蔵野の面影を残す雑木林もある。春は野鳥のさえずりが賑やかだ。小雨の日は傘を手に歩く。冬場は夜明けが遅いが、まばらな街灯の薄暗い園内を歩くのも、また趣がある。そんな時間帯にも、歩いたりジョギングしている仲間たちがいる。
家を出てから戻るまでの約90分。それがいつの間にか至福のひと時となった。自分では「ウオーキング禅」だと思っている。無念無想を目指すのでなく、逆に感性を全開にして、五官から入ってくるものすべてに身を任せて、ひたすら歩く。同じコースを歩いても、その日その日で季節の微妙な味わいが違う。人工の公園でも、植物の奥深い世界が垣間見られ、清新な気持ちが取り戻せる。ときに天啓がひらめいたり、短歌が浮かんだりする。まことに愉しい。
最近は物忘れがひどくなったが、ウオーキング中に気づいたことは、メモせずともよく覚えている。早朝は精神の状態が日中とは違うらしい。良書を読むのもいいが、自然(天)との触れ合いに勝るものはない。「太上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経を師とす」と佐藤一斎の『言志録』にもある。「経」とは書物のことだ。
「趣味は何ですか?」と訊かれることがよくある。以前ならば読書とか釣りとか、絵画や映画の鑑賞だと答えた。今では早暁ウオーキングのみである。何であろうと、趣味を持つのは望ましい。なぜなら趣味は心の「空所」だからだ。
空所とは、本業とは無関係の別世界を意味する。憂さ晴らしの娯楽とは違う。良き趣味に心を遊ばせ、欲得を離れて無心になれるひと時にこそ、自己を客観できる。本業のことが、虚心坦懐に反省させられたりもする。山中に入り込むと、山は見えない。海中に潜ると、海の広さはわからない。
心に空所を持つことを徹底すると、本業なのか趣味なのか、区別がつかない境地に行き着くのかもしれない。「遊動一致」の世界である。
そんな空所の意義を講演の中で述べたところ、ある年輩者から言われた。「リタイアしてからは、もう毎日が空所だらけだよ」と。笑いながらその人は言ったのだが、淋しさは隠せなかった。「責任ある仕事から解放されたあとでも、誰かのために役立つボランティアのような仕事を本業としてはどうですか」と応じると、「そうだな、見つけてみようか」と。
たしかに探せば、奉仕的な仕事はいくらでもあろう。本業が定まると、空所が活きてくる。そしてそのうちに、奉仕も趣味もすべてが一つになり、充実した毎日を送れるだろう。
現役の人たちは、あまりに忙しすぎる。何を心の空所とするか。――見つけたならば、3年は続けることをお勧めしたい。
〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『「いのち」の輝き』(新世書房)など多数。