〈コラム〉中島敏行「言葉のチカラ」第2回

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本気になれば理想が見えてくる

 僕がワタミフードサービスへ入社し最初に配属されたのが、当時都内では数える程しかなかった“240席・2フロアー”の大型店でした。渡邊美樹社長との約束を心に誓い、期待に胸を膨らませ入社初日を迎えたことを、昨日のように記憶しています。
 出勤してまず気付いた点がありました。それは大型店であるにもかかわらず従業員が少ない上、店長がほとんど出勤せず、副店長とアルバイト店長が中心となり営業していたことでした。副店長は主にキッチンに入っていたのでアルバイト店長である野木君(仮名)が業務を任されていました。僕より1歳年上の野木君は俳優を志す傍ら、店の営業を取り仕切るスーパーアルバイトでした。
 配属されて2カ月が経った頃、次第に店や店長への不満を抱き始めていました。この状況下で働く野木君は果して辛くないのか? 僕の不満な思いとその疑問を彼に投げ掛けると意外な答えが返ってきました。「僕は仕事をさせられに来ているのではなく、仕事をしに来ているから辛くないし本気になれる。本気になれば理想が見えてくるから、その理想を追い掛けているだけなんだ」と。
 僕は目からうろこが落ちました。彼の言葉には一つ一つ重みがあり、本気で仕事と向き合っているからこそ言える言葉でした。「自分はまだまだだ」が野木君の口癖でした。彼は一切愚痴、陰口を言わず愚直に仕事に取り組み、無理をしているわけでもなく、むしろ楽しんでいるかのようでした。野木君の人柄に心底惚れ込んだ僕は“これが理想だ!”と思い、以後全力で仕事を覚えました。
 やがて店の環境が整った頃、僕は副店長として異動を命じられ、新たな店へ配属されました。そんな時、野木君が事故で亡くなったと仲間から連絡があり、僕は全身の力が抜け現実を受け入れられず悲しみに暮れてばかりいました。やがてそんな自分が無性に恥ずかしくなり、彼の意思を継ぎ、彼に少しでも近づこうと心に決めました。その時から野木君の言葉がコミットメントを生み出して大きな柱となり、僕の心に現在も生き続けているのです。

batten_nakajima〈profile〉 中島敏行(なかじま としゆき) 肥後ばってんラーメン オーナー、Magokoro Inc.社長。千葉県出身。経営マネージメントを学び、1996年ワタミ・フードサービス(株)(現WATAMI)に入社。創業者である渡邊美樹氏(現会長)から直接指導を受け、居食屋和民の店長、スーパーバイザーを経て03年W&E Hospitality Inc.へ転職のため渡米。05年に肥後ばってんラーメン店長に着任、10年独立。

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