歴史力を磨く 第24回
NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕
日本における戦後の禁忌(タブー)といえば、先の大戦における「アメリカの戦争責任」ではなかろうか。特に、アメリカが東京をはじめとする日本中への無差別爆撃をしたことと、広島と長崎に原爆を投下したことについて、その正当性に疑問を投げかける議論がこれにあたる。
アメリカは大戦当時から自らの行動を「正当」なものと宣言し、自らが行った無差別攻撃と原爆投下も、軍事的に必要な行為であり、人道的・道義的責任からも許容されるものであったとし、当時の戦時国際法にも適合していたとしてきた。しかし、それらの攻撃は本当に許容されるものであったのだろうか。このような問いかけは、原爆投下直後にアメリカの報道機関によってなされたことはあったが、被爆国の日本では、アメリカの戦争責任が公式に議論されたことは殆どなく、またテレビや新聞などの報道機関もこの問題を正面から扱おうとはしてこなかった。
その背景には、占領期のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によるWar Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人に植え付ける宣伝計画)がある。この計画に基づき、新聞やラジオ報道に対するガイドライン(プレスコード)が策定され、報道内容の検閲と日本罪人報道が執拗に行われた。プレスコードには「連合国軍に対し不信もしくは怨恨を招来するような事項を掲載してはならない」という項目が含まれていた。つまり、占領下の日本では、新聞やラジオが東京大空襲や原爆投下を批判的に報道することは禁止されていたのである。
広島と長崎に投下された原子爆弾についても、それが非人道的と評価されれば、正義の戦争を遂行したというアメリカの戦争の大義が否定されることを意味し、絶対に避けなければならなかった。そこで、先に示したような検閲基準によって、アメリカ批判の言論を排除しようとしたのである。
その根底には、アメリカの行動は「正義」であり、日本の行動は「悪」であったという考えがあった。即ち「大戦を通して日本中にもたらされた全ての惨事は、たとえそれが深刻であろうとも、邪悪な戦争をした日本が自ら招いたものであって、そこに何ら弁明の余地はない」という理解であり、それこそが日本人の自虐史観の因となるものであった。そのようにして当初はGHQによって植え付けられた自虐史観は、占領が解除されたあとも日本社会に重い滓のように残り続けた。今の日本では、アメリカを批判することは出来るようになったが、核心部分であるアメリカの無差別攻撃と原爆投下について、その是非を問うことは未だ禁忌のままである。それどころか、先の大戦について日本を擁護するいかなる議論もまた、長年禁忌とされてきた。
戦後70年を経た今、「戦後レジームからの脱却」を目指し、「日本を取り戻す」とするならば、先ずは長年の禁忌に囚われることなく自国の歴史を虚心に学び、歪められた歴史認識を見直す姿勢が、国家としても求められると思うのである。
(次回は9月8日号掲載)
〈筆者プロフィル〉髙崎 康裕(たかさき・やすひろ)
ニューヨーク歴史問題研究会会⻑。YTリゾリューションサービス社⻑として、日系顧客を中心とした事業開発コンサルティング、各種施設の開発企画・設計・エンジニアリング・施⼯管理業務等を⼿掛けている。シミズディベロップメント社⻑、Dillingham Construction代表取締役、東北大学特任教授歴任。現東北大学総⻑特別顧問。著作に「建設業21世紀戦略」(日本能率協会)、「海外業務ハンドブック」(丸善)、 「海外プロジェクトリスクへの対応」(エンジニアリング振興協会)など多数。