「窮地」は誰にとっても必要なもの
(12月10日号からの続き)
クウェート侵攻による未曾有の危機は極限まで事業縮小することで乗り切りましたが、売り上げが以前の35%から40%にまで落ちたことで、苦しい経営が続きます。5000万円分あった与信枠は使い切り、自分の家を貸出して小さなマンションへ引っ越し。同時期に離婚。レントが下がって不動産による別収入も危機に。お金がなく、本当に一生懸命働きました。
経営状態が悪く、日本からの仕入れは「前金で120%の支払い」という条件に。これでは立ち行かないので、米国内から商品を仕入れる方法を検討します。苦境を知った元顧客が贈ってくれた航空券でLAへ日帰り出張し、コンベンションで日系企業を回って売掛金で商品を出してくれる会社を探しました。この時から食器だけでなく道具やカラオケ機まで、オーダー調達でき自分で在庫しなくても良いものなら何でも扱うようになります。借金は7年掛かって全て返済しました。
ある時チャイナタウンで、山積みになったメラミン製の皿を発見。1枚1ドル95セント。日本から仕入れていたメラミン皿は1枚8ドルだったので、中華皿の柄を和柄にしたものを生産することを思いつきます。1カ月毎日あちこちに電話を掛け続け、皿の裏に書かれたメーカーの販売代理店を探しました。1カ月後、ついに代理人を見つけ、1月に皿を見つけて、遂に台湾の工場へ行けたのは3月でした。戦争は終わっていました。旅費がなく、創業以来の顧客にお願いして2万ドル借金し、台湾へ。このお陰で正式発注でき、5月にサンプルができました。コストは1枚あたりわずか何十セント。後から真似る人たちが出てきたけれど、おかげで5年ほどは生き延びられました。
あんなに窮地に追い込まれていなければ、アイディアを閃かなかったと思うのです。「窮地」は誰にとっても必要なものなのかなと考えるようになりました。そういう状況にならないと、人は持てるポテンシャルを引き出せないのじゃないか、と。困難を一つ乗り越えるごとに、竹の節のように強くなっていって、だんだんしなやかに、倒れなくなっていく気がするのです。(続く)
かわの・さおり 1982年に和包丁や食器などのキッチンウエアを取り扱う光琳を設立。2006年米国レストラン関連業界に貢献することを目的に五絆(ゴハン)財団を設立。07年3月国連でNation To Nation NetworkのLeadership Awardを受賞。米国に住む日本人を代表する事業家として活躍の場を広げている。
(2016年12月17日号掲載)