僕が世界の音楽に影響を受けたように、僕の音楽で何かを感じてもらいたい
「ガチ!」BOUT.149
6年ぶりにNY公演
数々のレコード大賞を獲得し、NHK大河ドラマのテーマ曲、宝塚レビューの音楽制作、朗読活劇の音楽担当など、ジャンルにとらわれない幅広い活躍で津軽三味線を世に伝える上妻宏光さん。日本の伝統楽器を究め、さらなる新領域を開拓しながらグローバルで活躍する上妻さん。6年ぶりのニューヨーク公演の直前にデビューのきっかけ、世界ツアーについてお話を伺った。
(聞き手・高橋克明)
◇ ◇ ◇
今からステージに立たれるわけですが、上妻さんにとってニューヨークでのライブはすでに何度も経験されているので、リラックスしてできますね。
上妻 そうですね。こちら(ジャパン・ソサエティー)でも何度もやらせていただいてますし、(イーストビレッジの)ジョーズ・パブとかでも演奏させてもらってますので。でもこの街自体6年ぶりになるので、その間に街並みも変わりましたし、いい意味で新鮮な気持ちでやりたいなって思ってます。
ニューヨークは海外デビューの街。当時、僕も客席にいましたがやはり特別な街ですか。
上妻 僕にとっては原点のような場所ですね。海外デビューもそうだったし、来るたび刺激をもらえる街です。その上でその空間を楽しんで演奏することもできるというか。
あれからちょうど10年です。短かったでしょうか、それとも、長かったですか。
上妻 人間過ぎちゃえば、あっという間ですね(笑)。ただ、いわゆる民謡という古典の世界だけでは味わえない“世界のステージ”っていうものを経験させてもらったので、内容的にはとても濃い10年だったと思います。
この質問は数え切れないほどされてきたと思いますが、日本の伝統楽器のプレーヤーとしてジャズやロックなどの洋楽を取り入れようと思ったきっかけは何だったのでしょう。
上妻 そういうスタイルでやりたいっていうのは僕が中学生ぐらいの時にすでに思っていたんですよね。親父が弾いていた三味線の音を当時からカッコいいと思っていて。今の音楽にこの音を取り入れることで、伝統楽器のカッコ良さを世間にもっと知ってもらえるんじゃないかなって。実際にやるようになったのは17歳の時で、ロックバンドに加入してからです。そこで初めて古典とは違うスタイルを演奏するようになったんですね。
当時は古典の枠をはみ出すスタイルに非常にインパクトを受けました。
上妻 今の若い人たちはまず、枠をはみ出すことを先に考えちゃう傾向にあると思うんです。基本ができる前から枠を壊すことを先に考えるというか。でも基本ができてこそ、初めて枠を壊せると思うんですよね。
なるほど。デビュー当時から海外で演奏したいという気持ちはお持ちでしたか。
上妻 デビュー前から持ってました(笑)。10代のころから海外、特にアメリカという国で演奏したいっていう気持ちは強かったですね。
三味線プレーヤーとして世界中で演奏するご自身の姿は当時から想像されていた、と。
上妻 それはずっと想像してましたね。ずっと思い描いてました。海外でコンサートをしたり自分のCDが出るっていうのは、イメージとして10代のころから持ってましたね。
今それを実現されていらっしゃいます。
上妻 今がベストかどうかは分からないですけど、でもやっぱり思い描いてたことは現実になってますね。ただ、それが現実になってくると次は日本人の僕にしかできないスタイルをどう確立していくかっていうことをすごく考えるようになるんですよ。海外に出れば出るほど、その国の音楽の影響を受ければ受けるほど、何ていうんだろう、日本の楽器にしかできない音楽っていうのを見つめ直すようになってくるんですね。
日本だけで演奏していた時以上に。
上妻 そうなんですよ。南米であったり、ヨーロッパであったり、ロシア、アフリカなど世界のステージで演奏してまわると、その国々の音楽の影響を無意識でも受けるわけですよね。そうやって僕がその国から音楽の影響を受けるように、その国の人にも同じように僕の音楽を聴いてもらって、何かを感じてもらいたいって気持ちが強くなるんです。当たり前ですけど、国によって、ノリというかグルーブが全然違うわけですよ。ヨーロッパにはヨーロッパの、アフリカにはアフリカの。お客さんもすごく主張してくるわけです。すごく楽しんでるのが体から出てくるというか。でも僕らには僕らアジア人特有の体に染み付いてる音楽の楽しみ方ってあると思うんですよね。そういうものを自覚して表現して、お互いが化学反応起こしてうまく融合できればまた面白いものが生まれてくると思うんですね。
国によって違うノリ方はステージ上からでも分かるものですか。
上妻 分かります。全く違いますね。コロンビアのように派手な曲が好きな地域もあれば、この選曲は静か過ぎて、ちょっと渋すぎるかなって思ったものがロシアとかでは一番ウケが良かったり。
面白いですねー。
上妻 南米はやっぱりノリがいいです(笑)。ビートが効いた曲の時の会場の盛り上がり方は、やってる僕たちも興奮させられて乗せられて、それでまたお客さんが興奮するっていう相乗効果があったり。あとは津軽三味線の音色が雪国同士で共感を受けるのか、ロシアも民謡をすごく受け入れてくれるんですよね。
逆にやりづらかった国はありますか(笑)。盛り上がらないなぁとか。
上妻 やりにくい……やりにくいっていうのは基本的になかったですね。ノリが悪いっていうのは結局、発信する側の問題だと思うんですよ。それは演奏する側の僕たちが悪かったと思うんです。
なるほど。日本国内と海外、コンサート前にそれぞれ気持ちに違いはありますか。
上妻 海外の人は日本の方より三味線に触れる機会が少ないと思うので、僕の演奏したものが最初で最後に聴く三味線の音かもしれないですよね。なのでいつもベストを尽くさなきゃなって思ってます。でも結局、ステージに上がったらそれがどこであってもベストを尽くすって気持ちにはなるんですけれど。(笑)
今後の上妻さんの目標を教えてください。
上妻 今はどうしても音楽のアンサンブルとなると西洋の音楽のベースに三味線が乗っかってる状態なんですね。それを、できるだけ三味線の音がもっと生きるスタイルに変えていきたいと思ってるんです。下地に日本の三味線があって、補う部分で西洋の楽器を取り入れたい。僕が海外ツアーをすると同時に、海外の人たちが日本のコンサートに足を運んでくれるようなエンターテインメントを作れたらなと思っています。
在米邦人の読者に向けてメッセージをお願いします。
上妻 何かをやりたいと思った時の自分を信じて頑張ってもらいたいですね。周囲の邪魔や誘惑で向かっていく道が歪曲(わいきょく)していくこともあると思うんです。でも、その時の自分を信じて進めば、夢ってどんどんどんどん近づいてくると思うんですね。最終的な目標を強く思えば思うほど実現する可能性は高くなると思うので、そういう気持ちを忘れないでいただきたいと思いますね。
最後に、ニューヨークに来たら必ず足を運ぶ場所はありますか。
上妻 「グラウンド・ゼロ」には必ず行きます。実は僕がデビューして、最初のライブの日の打ち上げをやった直後、「お疲れさーん」って楽屋に戻ってきたら、ちょうどテレビでその映像が流れたんですよ。
えっ!? デビューのファーストライブの日ですか。
上妻 そう。日本で見てたんですけど、映画みたいな感じでビルから煙が出てたので、これ、何だろうって。それで翌日の(ライブの)テレビ放送が(テロの特番で)なくなったので。
上妻さんの個人史でも絶対忘れられない日になったわけですね。
上妻 いやぁ忘れられないですよね。もともと憧れの街でもあったし、自分のデビューの日とも重なってますので。なので、来たら必ず。今日も行ってきました。
上妻宏光(あがつま ひろみつ)
職業:津軽三味線プレーヤー
1973年生まれ、茨城県出身。6歳より津軽三味線を始め、数々の大会で優勝を重ね、高い評価を受ける。ジャズやロックなどジャンルを超えたセッションで注目を集め、2001年にEMIミュージック・ジャパンから「AGATSUMA」でメジャーデビュー、「第16回日本ゴールドディスク大賞 純邦楽アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞。03年、2ndアルバム「BEAMS〜AGATSUMAII」を全米リリース。05年に発表した6thアルバム「○―エン―」は再度日本ゴールドディスク大賞を受賞。デビュー10周年にあたる10年、日本17都市・ヨーロッパ各5カ国・アフリカ3カ国の計9カ国にてツアーを行う。近年、日本全国の小学校において日本の伝統音楽の魅力を伝える授業を行っており、次世代への文化伝承にも力を注いでいる。公式サイト:agatsuma.tv
〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。
(2013年6月15日号掲載)