桂由美(1)

0

日本の伝統、日本の美を世界に広げたい

「ガチ!」BOUT.135

1764

世界的ブライダルファッションデザイナー、桂由美さん。世界20カ国以上でショーを展開してきたブライダルの伝道師は、昨年ニューヨーク・ブライダルファッション・ウイークで自身のブランド「YUMI KATSURA」から新作を発 表。ニューヨーカーからも絶賛された。ショーの直後、お時間を取っていただき、今までの道のり、今後の展望についてお話を伺った。
(聞き手・高橋克明)
◇ ◇ ◇

NYで新作発表

カーテンコールの際、観客のスタンディング・オベーションはどんなお気持ちで聞いていらっしゃいましたか。

桂 それはもう。皆さんが「ゴージャス!」とか「グレート!」「ビューティフル!」って掛けてくださった声が、お世辞じゃないのが伝わってきましたから。私のドレスを見て皆さんが感動してくださるのでしたら、もうね、これ以上何も言うことないです。その瞬間のためにこの仕事をしているようなものですから。もう今はお金もうけが目的では全然ないの。売り上げがどれくらいで、利益がどれくらいという数字は気にしてないんですよ。皆さんが着てくださって幸福になってくれる。世界中の花嫁を美しくしたいっていう夢だけが生きがいなんですね。

でも先生のショーを継続させるためにも、北米でもヒット商品になればいうことないですね。

桂 日本では(私のブランドを)2万人くらいの方が(結婚式で)着てくださってますけど、そのほとんどがレンタルでね、2万着が全部売れるわけではないんですよ。ただ、この国の人は皆さん(レンタルではなく)買ってくれますからね。だから北米でどれほどの方にこのブランドを愛してもらえるかなとは思っていますけれど。

先生にとってはニューヨークは以前一度デビューしたことがある特別な街ですね。

桂 1981年だったんですが、その時の感動はもう忘れられないです! 今日より、もっと、もっと、(拍手喝采が)すごかったのね。当時のアメリカは今ほどブライダルファッションが多様化されてなかったんですよ。そこに今までとは違うものを持ってきたわけですから。あの時はね、バーグドルフ・グッドマンからサックス・フィフス・アベニュー、ヘンリベンデルからみんなが取り合いになっちゃって。

5番街を1本挟んだ名門店が取り合うって、すごいですね。(笑)

桂 でもヘンリに入ったデザインはバーグドルフが取って(契約して)くれないし、バーグドルフに入ったデザインはヘンリには置けないのよ。

お互い同じブランドはショーウインドーには並べられないんですよね。

桂 困っちゃって、私も(笑)。それでどうしたかっていうとね、それぞれのデザインを作ったんです。こっちがヘンリベンデル用、じゃあ、こっちがバーグドルフ用って。それで双方和解して。

世界を代表するデパートが取り合う“MADE IN JAPAN”のブランドはもう出てこないかもしれないですね。

桂 でもね、その時は素材を見た彼らが、日本ってこんな素晴らしいものを作るんだって、感動してたんですよー。例えば和紙を素材で使ってたり、世界一軽いシルクを使ってたり、それは1メートル四方で5グラムしかないのね。こぉんなおっきなドレスでも「天使の羽みたい(な軽さ)だ!」って。

ジャパニーズテクノロジーのすごさですねっ!!

桂 (無視して)でも、それから円高が進んじゃったでしょう…。高くなって段々と売れなくなっちゃった。それに加えてコピーがばぁーって出ちゃうんですよ。斬新なデザインでヒットしたらすぐに。コピーの方が断然安いですから。だから、また(新たなデザインで)再デビューをしなきゃいけない。

追いかけっこになっちゃいますね。

桂 そうです、そうです、そうです(笑)。でも、オートクチュールってシャネルや(クリスチャン)ディオールでもやってますけど、ブライダルに特化した本当に手作りの、手刺しゅうのオートクチュールって世界にもいないんです。もちろん値段は少し高いし、なかなか買える人も減ってきてますけど、それでも昨日「クラインフェルド」って店で3万ドルのドレスが売れたんですね。だから、本当に世界に一つだけのものっていうのを求めてる方もまだいらっしゃると思うんです。自分だけのデザインで、他の人が誰も着たことがない、そういうのを求めている人も。だからこそ、オートチュクールが(コピーではなく)最後に残るものじゃないかって私は思ってるんですね。

先生がウエディングドレスのデザイナーになろうと決意されたきっかけは何だったのでしょう。

桂 私の母が、洋裁学校を経営していまして、私が共立女子大を卒業したら手伝ってくれって言われたんですよ。で、手伝って3年目くらいですかね。生徒の卒業制作にウエディングドレスを作らせようとしたんです。生徒と一緒に生地屋やアクセサリー屋を回ってるうちに、この国っておよそ(ウエディングドレスに関して)何にもないことに気がついたんですね。ろくな生地がないし、アクセサリーもないし、靴も手袋もない。(一般の)ファッションに関しては森英恵さんなどがいらして、結構あったんですけれど、ブライダルに関しては皆無でしたね。

40年前は。

桂 これじゃあいけないと思いまして。ともかく(ブライダル専門の)店を開こうって思いました。困っている人がいるわけだから、社会奉仕ですね。それに、学校経営も母を引き継いでやってただけだし、もっと独創的なことやりたいじゃないですか(笑)。学校にいても教えるだけですからね。母も学校経営と両立するならいいよって言ってくれて、1964年、(東京)オリンピックの年に創業したんですね。ちっちゃな、ちっちゃな店を作ったわけです。でもね、お客さんが月に2、3人しか来なかったのね。5人いた社員に給料払うと、もう私の取り分ないんですよ(笑)。だからそこから10年間、給料ナシで働いてました。

10年ですか!

桂 それでもね。今考えてもやって良かったと思いますね。

先生のオートクチュールは、なぜブライダルに特化したものだけ、なんでしょう。

桂 それ、マスコミの方にはよく聞かれます。(笑)

(笑)。ですよね。先生の世界的なネームバリューであれば、ウエディングドレス以外のオーダーも当然あると思うのですが。

桂 あのね、今から30年くらい前かな。ピエール・バルマンが突然私の(小岩)のお店に立ち寄ってくれたことがあるんです。

フランス最古の有名なオートクチュールデザイナーですよね。

桂 そう。その時に彼が店に並んだウエディングドレスを見て、「この世で一番美しいものはウエディングドレスを着た花嫁だ」って言ったんです。彼はオートクチュールとしてさまざまな衣装をデザインしていたわけですけど、自分が一番好きと思えるウエディングドレスは年に数回しか手掛けることができないって。だから「毎日、毎日、世界で一番美しいものに囲まれて仕事をしているあなたは、世界で一番ハッピーな人だ」って。私のことがうらやましいって。世界のバルマンが言うんです。それを聞いた時、私もう、全身がゾクゾクッってしちゃってね。

いい話ですね。

桂 それ以降、絶対迷わない。これは天職なんだって、神様がくれた私の使命なんだって、思えたんですね…。名前が(世間に)出だしたら、他の(一般の)デザインもすればもうかるじゃない、って皆さんに言われたんですけれど、それ以降、ウエディングドレス一本(笑)。ずっとウエディングドレスのデザイナーです。

はい。

桂 それまではずっと迷ってましたけど。(笑)

あ、そうなんですね。(笑)

桂 だぁって、それまでは当時、ウエディングドレス着て式を挙げる人って全体の3%に満たなかったんですよ。クリスチャンか、外国の方と結婚する人くらい。97%はもちろん着物でしたから。(デザイナーで)誰も手を出す人はいなかったわけですよね。まず、「ブライダル」って言葉がなかったですから、当時は「ウエディング」って言葉を使ってましたね。

その状態からスタートするのは勇気が必要ですね。

桂 でもこれから(ドレスで結婚式をする人が)増えていく時代になってくる、そう信じてました。その時に専門のデザイナーがいなかったらダメだと思ったんですね。

このお仕事をされて半世紀。この50年は先生にとって長かったでしょうか、それとも短かったでしょ…。

桂 (さえぎって)短かったですよ! もぉう、全然。あと、2、3倍生きたいです。

あははは。それは長過ぎませんか。

桂 だって、やりたいことがまだいっっっぱい残ってますから。一番の(解決したい)問題は日本の婚姻率ですよね。下がる一方なんですよ。さらに悪いことに、いわゆる従来型の結婚式披露宴をやらなくなったカップルが(ピーク時に比べ)45%もいるのね。この業界も大変よね。

先生が思うにその原因は何でしょう。

桂 もちろん原因は一つじゃないけれど、ステキで楽しい結婚式が少なくなったことも一つじゃないかしらと思っているのね。だから、まだまだ、私はこの業界を元気にして、ブライダルを通して日本を立ち直らせたいと思っていますね。

背景は違えど、先生と同じようにアメリカで何かに挑戦しようとしている日本人はいっぱいいらっしゃいます。その人たちに先生から伝える言葉はございますか。

桂 あのー、本当に私ね、日本人って素晴らしいと思うの。いいものたっくさん持ってると思うんです。特にノーベル賞(受賞者)なんか出たりすると、やっぱり日本人の才能を再確認しますよね。それぞれ皆さんの立場でお仕事なさってると思うんですけど、それがなん(の職業)であれ、日本の伝統、日本の美を世界に広げようって思って頑張っていただきたいなと思います。特に海外に出ている人は、ある意味、日本を背負って来ているわけですから。もちろん、私もそのつもりでこれからも頑張っていきますね。(にっこり)

今日は本当にありがとうござ…。

桂 (さえぎって)今度はね、「友禅」の技術を、現在のファッションに生かして、パリの店で展開しようとしてるんですね。それが軌道に乗ったらね、今度は中国で…。(この後、先生の夢の話が延々続きます…)

※写真は全て、ニューヨーク・ブライダルファッション・ウイークで披露されたブランド「YUMI KATSURA」の新作

桂由美(かつら ゆみ)

職業:ブライダルファッションデザイナー

東京生まれ。共立女子大学被服学科卒業後、パリに留学。1964年日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始。日本のブライダルファッション界の第一人者であり、草分け的存在。美しいブライダルシーンの創造者として世界20カ国以上の各国首都でショーを行い、そのブライダルイベントを通じてウエディングに対する夢を与え続け、ブライダルの伝道師とも言われている。93年外務大臣表彰を受賞。96年には中国より新時代婚礼服飾文化賞が授与される。99年東洋人初のイタリアファッション協会正会員となり、2003年以降は毎年パリでオートクチュールコレクション開催。05年7月、YUMI KATSURA PARIS店をパリのカンボン通りシャネル本店前にオープンし、11年秋ニューヨークでライセンス契約での再デビュー果たすなど世界的な創作活動を展開している。公式ホームページ:www.yumikatsura.com

 

〈インタビュアー〉
高橋克明(たかはし・よしあき)
専門学校講師の職を捨て、27歳単身あてもなくニューヨークへ。ビザとパスポートの違いも分からず、幼少期の「NYでジャーナリスト」の夢だけを胸に渡米。現在はニューヨークをベースに発刊する週刊邦字紙「NEW YORK ビズ」発行人兼インタビュアーとして、過去ハリウッドスター、スポーツ選手、俳優、アイドル、政治家など、400人を超える著名人にインタビュー。人気インタビューコーナー「ガチ!」(nybiz.nyc/gachi)担当。日本最大のメルマガポータルサイト「まぐまぐ!」で「NEW YORK摩天楼便り」絶賛連載中。

 

(2013年1月1日号掲載)

Share.