アメリカは夢を叶えるにはいい国 自分は運がいいって思ってるんです
「ガチ!」特別編
FBIのおとり捜査で米刑務所に服役した男
筆者は以前より、アメリカの刑務所に服役した経験を持つ日本人の半生記、自叙伝を好んで読んでいました。おそらく戦後出版されたその類の書籍は全て読了しているかもしれません。その中でも群を抜いてリアルで、壮絶で、面白かった本が2009年に東京キララ社から発刊された「KEI チカーノになった日本人」でした。
米連邦捜査局(FBI)のおとり捜査にはめられて、カリフォルニアの刑務所に10年以上服役し、抗争や殺人、レイプが日常茶飯事の中、ただ一人の日本人として孤独な戦いを続けてきた男、KEI。刑務所暮らしの中で、暴力性、結束力で最も恐れられているチカーノ(メキシコ系アメリカ人ギャング)の伝説的なボスと運命の出会いを果たし、彼らと家族同然の付き合いが始まって以降、KEIさんは、人生に対し、本当に大切なものを学んでいきます。「チカーノは貧しいが、金では動かない」。家族を大切にし、 仲間のためには自己をも犠牲にする。そんな彼らとの交流から、出所後の現在、迷う若者のためにカウンセリングやイベントを行っているという。本を何度も読み返しているうちに、どうしてもKEIさん本人に会って話を聞いてみたくなりました。出所して11年、神奈川県平塚市にある彼の経営するチカーノスタイルブランドショップ「HOMIE」にて話を伺いました。
(聞き手・高橋克明)
自叙伝「KEI チカーノになった日本人」のメーンコンセプトはあくまで、刑務所に入ってから繰り広げられる、壮絶な生活である。しかし、入所する前のエピソードの段階で、すでに自伝が1冊書き上げられるような強烈な10代、20代がつづられている。(以下、敬称略)
壮絶な10代、20代
KEI 結局、うちの親が子育てを放棄しちゃってたから、生きてくために自分でなんとかするしかなかったんですね。で、14歳くらいから歌舞伎町に出入りしてると、二つか三つ上の当時、少年ヤクザって呼ばれてたような奴らも集まってくるんですよ。連中は毎日20万円とか30万円とか使ってる。子供のころってそういうのに憧れちゃうじゃないですか。で、やっぱ憧れるから(組関係に)入っちゃいますよね。入ったらいきなり服全部取られて、事務所の団服着せられて、五厘刈りにされて、裸足で雪駄(せった)履かされて住み込みです。朝昼晩夜中とメシ作って、事務所の掃除、トイレの掃除、親分の車のワックスがけ、それを24時間、3年間やらなきゃいけない。入ったその日に電話番をさせられたんですけど、電話の向こうで「ワシじゃ」って言われても誰だか分かるわけないじゃないですか。「おまえ、ワシの声も分かんねーのか!」って、その人が来て木刀で100たたき。全身骨折でそのまま初日から入院ですよ。そんな生活を3年間続けて。地方から来たやつはみんな逃げましたね。メシ当番でスーパーに買い出しに行ったまま逃げちゃう。自分は地元なんで、逃げる所がないわけです。3年間我慢するか、3カ月に1日ほどもらえる休みの日に、街でわざと喧嘩(けんか)して少年院に入れられるか。少年院入る方が全然ラクなんで。(笑)
大抗争で少年院へ
「少年院に入る方がラクな生活」を3年間続け、実際に入ったのは、1979(昭和54)年、連日報道されるほどの新宿での抗争事件がきっかけだった。民間人も巻き込むその大きな抗争は、KEIの所属する組が起こしたものだった。
KEI 自分がいたとこは80人くらいの規模が半年で800人になったような勢いのある組だったんです。で、事務所に出勤する前に最低3回は街で喧嘩してこいって上(幹部)に言われる。それだけの人数が一人3回喧嘩しなきゃいけないんで、よその組とも揉めるじゃないですか。それが元で、大きい抗争になって。自分もその相手の事務所に打ち込み(襲撃)に行くのに、あのラーメン屋の岡持ちって分かります? 昔のアルミの。あの中に道具(ピストル)を入れて「出前持って来ましたー」って行ったわけです。マンションのドアの新聞受けから道具突っ込んで、玉(弾丸)がなくなるまで撃って…。そういう時代だったんですね。で、自分はパクられ(逮捕され)て、裁判待ちをしている間に、組員800人全員がパクられちゃったんですよ。全員が刑務所か、留置所か、拘置所の中。みんな体をかけて懲役務めてんのに、組がなくなっちゃったわけです。それだと仮に執行猶予がついても、帰るとこがないし、出たら殺されちゃうし。どこでもいいから体(ガラ)かわせとけって上から言われて、そのころの女房と舎弟ととりあえず北海道行こうってなったんですね。
人生狂わせた麻薬取引
逃亡生活のような形で北海道に渡り、ここで「ビジネス(しのぎ)」の成功を収める。ほとぼりが冷めた東京に戻り、また別の組の預かりになるも、命を狙われるような生活を続けていく。左手の小指を「ケジメ」のために詰めた事件もこのころだ。それでも得意の“ビジネスセンス”を生かし、生活は羽振りよく変わっていき、サイパンにはコンドミニアムまで持つようになる。金も、仕事も毎日が楽しかったと言える貴重な日々。ちょうど、そのころ、知人に「ウン億円もうかる」と持ちかけられたハワイでの麻薬取引に気が進まないまま手を染めたことが、KEIの人生を狂わせることになる。結局、それがカリフォルニアでの10年以上に及ぶ刑務所暮らしの引き金となるものだった。日本でのニュース番組でも流れたハワイでの「摘発現場」。警察に踏み込まれた瞬間をKEIは鮮明に覚えているという。
KEI 自分は最初、強盗だと思ったんですよ。で、灰皿投げつけちゃって。3発(威嚇で)撃たれた後も、こっちはFBIなんて見たことないからまだ強盗だと思ってたんでね。みんなピストル持ってるし、しょうがないから手を挙げると、押さえつけられて、後ろから手錠かけられて、ボストンバック状態ですよ。FBIの中に一人、日本語が話せるやつがいて「おまえ、捕まったんだよ」って権利を読み上げられた時に、初めて、こいつら警察かって分かったんですよね。その時の気持ち? こういう性格なんで、どうにかなんだろって感じですよね(笑)。そのまま(逮捕時の状態の)パンツ一丁で留置所に入れられたんですけど、こっちは靴もなく裸足でエアコン全開の中に放り込まれましたから、いつになったら取り調べ始まるんだろうって。入れ墨を珍しがって触りにくる酔っ払いにチョーパン食らわせながら。結局そこに20時間くらい留置されたのかな。
悪夢のような裁判
刑務所生活が始まる前にKEIに訪れた最初の洗礼は、にわかには信じられないようなようなアメリカの弁護士の対応だった。今でこそ笑い話のように聞こえるが、それはKEIいわく「普通の人だと精神的にこの時点で参っちゃうと思うんです」という悪夢のような裁判の日々だった。
KEI もうね、弁護士は、最低の最低っす。一番最初の弁護士に当時360万円くらい取られて、通訳のおばさんに100万円ほど払ったんですよ。で、その弁護士、つかまった時に取られた(押収された)僕のアルマーニのスーツを着て、ロレックスの時計を着けて面会に来るんですよ。なんで着てんだよって言うと「高価なものだから俺が預かってる」って。「おまえの家族が来るまで身に着けてやるから」って。結局、最後までそいつパクった(かすめ取った)ままだったんですけど。話もコロコロ変わるし、ある日「おまえ、もうクビだ」って言ったんです。そこから急に連絡が取れなくなった。で、しばらくして看守が自分のとこに来て、「もうすぐおまえの弁護士が入ってくるぞ」って。意味が分かんなかったけど、その後、その弁護士、おまわりに覚せい剤売ってて、囚人として入ってきたんですよ。だから、囚人とその弁護士が同じ囚人仲間になっちゃって。で、次の白人の弁護士も360万円くらいかかったんですけど、最初は「ガンバリマスっ!」ってすごい言うんですよ。でも、結局、そいつ交通民事とかしかしたことない弁護士だったんです。で、金取るだけ取って、「勉強しながら、なんとか、がんばります!」って。ふざけるな! ってスグにクビにしました。次のもひどかったです。「罪認めちゃったら、5年で済むよ。裁判で戦ったら終身刑食らっちゃうよ」って言うんで、しょうがないから書類にサインしたんですよ。で、そこから1年半くらいほっとかれて、いきなり電話が来て「8年になっちゃったから」って。電話で喧嘩ですよ。「5年って言ったじゃねーか!」って。埒(らち)が明かず、そのまま判決。こっちの弁護士は「5年」って言ってて、検事が「いや、8年だ」、って言ってるのに、その裁判官が日本人が大嫌いな中国人で「冗談じゃない、こんなヤツ10年だ」って。検事が8年を主張してるのに、なんで裁判官が10年にしちゃうんだって。その瞬間、頭に血が上って、弁護士の鼻に思いっきり肘鉄ですよ。鼻血が出て、歯が折れちゃって。で、結局、今度は法廷侮辱罪。
レベル4のプリズン
最初に入った刑務所トミノアイランドは「人間が住むには最後の島」という意味も込められたロサンゼルス郊外にあるレベル4のプリズン。ここまで高いレベルの刑務所に入る日本人はほぼ皆無だという。
KEI アメリカの刑務所って日本のヤクザに対してすごい厳しいんですよ。和彫り(入れ墨)が入ってて、自分みたいな指がないっていうと、もうこいつはダメだってレッテルを貼られちゃうんですね。こんなやつ独房入れとけってなってそこから自分は3年独居に入ってたんですよ。毎朝6時半になると牧師さんが来て、君、大丈夫? って。それだけ。そんなのと話してもしょうがないから、毛布かぶって寝たフリして。そのあと看守が朝飯をドアの間から入れてくるんですけど、自分はそれをベッドから走って蹴りだしちゃうんですね、気が立ってるから。でも、そんな生活を3年も続けていると、自分が壊れていくのが分かるんですよ。どうしても人と話したくなる時期が来るんです。このままだと気が狂っちゃうんじゃないかって。3年過ぎたあたりに牧師さんに、大丈夫? って聞かれた時に「いや、もうダメだね」って。それから10日後くらいに日本領事館の人が日本の雑誌をいっぱい持って面接に来てくれたんですよ。大丈夫ですか? って。大丈夫なわけないじゃん!(笑)で、連邦政府の刑務所に日本大使館からリクエストみたいなのを出してくれて、こんな分厚い書類を持ってこられて「これ全部サインしたら一般房に移してやるから」って。要は、日本のヤクザ=人殺しってイメージが向こうにはあって“他の囚人を殺さない”とかそういう文面なんです。で、サインして、一般房に移ったんですけど、そのころはまだ英語も全然分かんない。アメリカのルールってもんが全く分かんないし、他に日本人もいないから教えてもらうこともできない。オリエンテーションで一応説明は受けるけれども、早口の英語で2割も分かってなかったと思うんです。こっちが理解してるかどうかなんてもちろん、向こうは気にしないし。自分の囚人番号を貼り出されて“何時にどこどこへ行け”って書かれても分かんないから、時間内に行けなくて、それで、もう懲罰なんですよ。それで、“英語しゃべれない日本人はバカなのか”って言われるとやっぱりケンカになっちゃうんで、しょっちゅう懲罰ですよね。他の囚人も懲罰の巻き添え食うのは嫌だから、アイツは頭おかしい、近寄るなって感じで。結局、一人になっちゃうんです。食堂行っても、一人で好きなとこに座ってたし。
「ビッグ・ホーミー」との出会い
一人で座った食堂は運命の出会いが待っていた。自身の命と今後の人生に関わる大切な出会い。「ビッグ・ホーミー」―。メキシコ系アメリカ人のギャングたちを束ねる、日本のヤクザで言うところの「親分」と遭遇し、命懸けで意地を通したことにより、結果、気に入られることになる。異常なまでに結束力の固い彼らに認められたことによりKEIはチカーノたちの家族同然の存在となる。刑務所生活が変わっただけでなく、彼自身の人生における考え方も彼らとの生活の中で劇的に変化していく。
KEI アメリカの刑務所って全世界のあらゆる人種がいるじゃないですか。外では見たこともない人種までいるわけですよ。その中でもやっぱりチカーノの子供たちの生活を見て感じたのは、彼らは家族を、仲間を大切にするっていう意識が異常に強いんですね。「あ、こいつらと一緒にいよう」って。そいつらといたおかげで、日本のヤクザって違うんじゃないかって、年々思うようになったんです。結局、ヤクザは「仲間だよ」って言っててもやっぱりお金が優先するんですよ。自分が刑務所に入ってた30(歳)前後のころは、お金持ってないと出世できないシステムがヤクザの世界ででき上がってきちゃってたんですね。出所するころにはもう(ヤクザの世界に)戻んないよって気持ちになってましたね。自分も子供のころ、貧乏に育って、1年間同じ半ズボンをはいて過ごして、学校行っても靴下もはけないで。何かそのころの日本人の感覚がアイツらにはあるんですよ。ああ、同じだなって。お金は関係ないよ、仲間だよっていうね。
チカーノという“家族”
彼らとの出会いにより、刑務所に入ったという事実さえ良かったと思えるようになる。家庭というものを知らなかったKEIにとってチカーノの一員であるという事実は、刑務所に入る前の壮絶ですさんだ生活を忘れさせてくれる、“家族”そのものだったのかもしれない。
KEI もし(刑務所に)入ってなかったら? そうですね、自分殺されちゃってたかもしんないですね。間違いなくそうでしょうね。十四、五歳から歌舞伎町でヤクザ時代を過ごして、結局、当時一緒にいたやつの大半はもう死んじゃっていないわけじゃないですか。そういう時代に自分も撃たれたりはしているけれども、結局、死んでないし、今、どうにか食っていけてるんで。結局、自分は運がいいって思ってるんです。それに今はアメリカの刑務所に十何年入ってたことも全部プラスだと思ってるんで(笑)。英語の読み書きができるようになって、アメリカに友達がいっぱいできて、こういう店を作れたのも、全部、プラスじゃないですか。入ってたから、今があるっていうところもあるわけですよ…。うん、やっぱり運がいいかもしれないですよね。
抜けなかった囚人生活
常人だと自殺も考えるアメリカでの壮絶な刑務所生活を「運が良かった」と笑える今。それでも十数年間の囚人生活は出所した後もKEIを精神的に簡単に“社会復帰”させてくれなかった。
KEI 刑務所内での暴動や、囚人同士の殺人や、女性看守へのレイプが日常で立て続けに起こると、その時の精神状態ってやっぱり麻痺(まひ)してくるんですよ。暴力に対して、レイプに対して、だますこと、だまされることに対して麻痺してくる。そういう状態の中に十年以上いて、日本に帰ってきた時に、最初は人に対してのイライラ感がすごかったですね。例えばファミレスで、隣の人が塩を取ろうと自分の目の前を手で伸ばすとするじゃないですか。アメリカの刑務所だとそれは侮辱なんで、殺される理由になる。自分の前を手で横切る権利がないってことで、まず刺されるわけですよ。あとは(出所して)最初の半年くらいは夕方の4時くらいになると落ち着かないんすよ、もう。アメリカ全土の刑務所が4時にカウントがあるんですね。4時になると自分のベッドに戻ってないといけない。一人でも囚人が足りないとそのカウントがアメリカ全土、9時になっても10時になっても終わらないわけです。だから(出所後、半年たっても)どこにいても4時になると結構そわそわしちゃってね。(笑)
将来の夢
常人では考えられないハードコアな半生を送ってきた男とは思えないほど、魅力的な笑顔を見せる。それは壮絶な半生をくぐり抜けた男にのみ、身にまとえるやさしさなのかもしれない。現在の活動、今後の夢を最後に語ってもらった。
KEI 日本には不良少年少女、児童虐待も含めて、親が育児を放棄しちゃった子供たちがいっぱいいるわけじゃないですか。一番したい事は、そんな子たちが安心していられる施設を作りたいんですね。そんな子たちは、まず児童福祉事務所に引き取られて、そこからいろんな施設に振り分けられる。自分には、こういう施設って少年院と変わんないように見えちゃうんですよ。お下がりの服を着せられて、学校でもいじめに遭って。そうじゃなくて、もっと普通の一般家庭と同じように生活できて、で、最終的にその子を更正させて親元に返す。返せなくても自分で生活できるように、社会に出してあげる。そういう施設を作りたいんですよね。資金の問題であったり、いろいろとクリアしなきゃいけない問題はありますけど、残りの人生はそういった若い子たちのために使いたいと思ってますね。
アメリカへの想い
どういった形であれ、強烈な「アメリカ生活」を送ってきたことは確か。刑務所の中とはいえKEIの生き様は現在アメリカで暮らすわれわれにも生きるヒントが何かしらあるはずだ。
KEI アメリカって日本と違って、デカイじゃないですか。例えば、自分今、アパレルやってますけど、「はい日本で売れました」と、「はいアメリカで売れました」っていうとケタが違うじゃないですか。絶対数がアメリカの方が断然多いですよね。どんなジャンルであれ夢を叶えるって意味ではすごいいい国だと思うんですよ。ただ、自分みたいに法を1回でも犯しちゃうとサイアクの国ですね。(笑)
◇ ◇ ◇
KEI
1961年東京生まれ。ヤクザ時代にFBIのおとり捜査で捕まる。当時その刑務所に日本人はただ一人。徒党を組まず暴れまくるも、刑務所内で知り合ったチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人との交流によって人生における大切なものを学ぶ。2001年、12年8カ月という長い投獄生活を終え、帰国。投獄中に取得した精神カウンセラーの資格を生かし、05年、児童虐待(性的・暴力的)キャンペーンをテーマに無料相談を開始。カウンセリング活動を本格化していく。同時に全国各地の看護協会で講演活動を行う。09年、東京都教育委員会の要請を受け都立南葛飾高校での特別授業を委任される。自らの出自を踏まえ青少年、少女との相互理解に寄与。10年にはレッドリボンプレゼンツ・厚生労働省、財団法人エイズ予防財団後援「HOMIE CHICANO FES」でチャリティーイベントを開催。前代未聞の業界最大規模イベント。国内外の有名アーティストを招致しより一般の方のチカーノカルチャーへの認知を深める。12年8月よりオンライン上で主に児童虐待に関する相談窓口を展開しているGood-Familyがリニューアルオープン。同時に、九州支部としてGood-Homieを立ち上げ。子供に関する相談以外も受け付け、幅広いトラブルの相談窓口になっている。チカーノスタイルブランド「HOMIE」の代表として現在、神奈川県平塚市にショップを持ち、ファッション、タトゥー、音楽などのカルチャーを幅広く発信している。13年には自身が出演するドキュメンタリー映画が公開される。
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KEIさんの半生を描いた長編ドキュメンタリー映画
2013年公開予定 各映画祭にエントリー「チカーノになった日本人」
現在、KEIさんの半生を描いた長編ドキュメンタリー映画「チカーノになった日本人」(洋題:NEO KEI)の制作が2013年の公開(予定)に向け行われている。注目度も高く、既に米国内の映画祭など、各映画祭にもエントリーされている。詳細は近日紙面にて掲載予定。
〈製作チーム〉監督(Director):サカマキマサ(Masa Sakamaki)、プロデューサー(Producer):戸山剛(Tsuyoshi Toyama)、撮影監督(DoP):加藤哲宏(Tetsuhiro Kato)
(2012年10月6日号掲載)
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