米国での日本文化、本当の意味で広まった

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講談社、米国進出50周年
野間省伸・講談社社長にNYで聞く

 

記念パーティーであいさつをする野間省伸・講談社社長

記念パーティーであいさつをする野間省伸・講談社社長

 

日本の出版業界トップの講談社(代表取締役社長・野間省伸氏)が今年、米国進出50年を迎えた。9月19日、ニューヨーク・ミッドタウンにあるニューヨーク公共図書館本館でそれを記念したパーティーが盛大に行われた。1966年、カリフォルニア州のパロアルトに米国法人を創設。その後、ニューヨークに拠点を移し、2008年には、ホールディングカンパニーの「Kodansha USA, Inc.(KUI)」(COO・作田貴志氏)を設立。現在、このKUI傘下にある3社から、日本の小説や、「進撃の巨人(Attack on Titan)」などの人気コミックを英語に翻訳して、プリント版、デジタル版の両方で出版している。またKUI自体は「日本語教育」「日本料理」「武道」など日本文化に関する出版物を刊行している。50周年にあたり、将来への展望や現在の思いを同社社長、野間氏に伺った。

 

講談社第4代社長の野間省一氏の功績をたたえ、ニューヨーク・パブリックライブラリー内に「野間ルーム(SHOICHI NOMA READEING ROOM)が93年に開設された

講談社第4代社長の野間省一氏の功績をたたえ、ニューヨーク・パブリックライブラリー内に「野間ルーム(SHOICHI NOMA READEING ROOM)が93年に開設された

 

―日本文化を知ってもらうことを目的に御社は設立されたとのことですが、50年経った現在、日本文化の広がりをどのようにご覧になりますか。

野間省伸社長 一過性のブームではなく、本当の意味で広まってきたと感じています。特に漫画については、日本の漫画作品が広まっただけでなく「漫画を読む文化」も生活の中に浸透したのではないかと。米国にはもともと、コミックを電車や飛行機の中で読むという文化がなかったはずですが、今日も空港で米国人の若者がスマートフォンで日本の漫画を読んでいるところを見まして。経済産業省の調べによりますと、北米だけで海賊版として読まれている漫画のマーケットが3兆円分あるのです。これを損失と捉えず、それだけ大きなマーケットが広がっていると考えると、やれることがたくさんありますね。

―紙の出版物が売れなくなって、出版はとにかく大変という声がよく聞かれますが、この先どのような展開をお考えですか。

野間社長 確かに楽ではありません。楽ではないけれども、さまざまな形で「認知を高めていく」ことはできると思っています。講談社は出版事業だけでなく、コンテンツ提供の事業も行っており、年間50本ほど、アニメ・映画・テレビへ原作を提供しています。コンテンツは同じですが、それを「紙で本や雑誌にする」だけでなく、多様なメディアを通じて発信していくわけですね。2017年3月にも『攻殻機動隊』というコミックがハリウッドで実写映画化されます。このように多様な形態で私たちの作っているコンテンツを知っていただき、認知度を高めていく。そこから漫画や小説に戻ってきていただく、ということができると考えています。「電子書籍」が生まれたことによって、海外における日本の漫画のマーケットは広がっているので、これは「ピンチ」というよりも「チャンス」と捉えています。日米両方のマーケットを見ているからこそ学べることは多いですね。例えば図書館の電子化は米国の方が進んでいます。これは日本での事業展開を考える際に大変大きな参考になりますし。

―ニューヨークで頑張っている日本人へ一言お願いします。

野間社長 50年前から日本文化を米国に伝えたいと願い、努力を続けた結果、今があります。例えば私たちの『進撃の巨人』というコミックはアメリカン・コミックのコーナーで販売されるほどこちらの文化に入り込んでいます。このように日本のコンテンツが米国に深く浸透していることに、共に誇りを持っていただけるような、海外で頑張る皆さまにとってそんな存在でいられればと思っています。

 

会場でも紹介された書籍の数々

会場でも紹介された書籍の数々

 

村上春樹さんからのメッセージ  ―「50周年記念」に寄せて

いつまでもポジティブな気概を失わないでほしい

僕がニュージャージー州プリンストンに住んでいた1990年代の初め、講談社インターナショナル(KI)アメリカのオフィスは五番街17丁目あたりにあって、ニューヨークに出たときには、よくふらりと立ち寄っていました。当時、僕の小説が何冊かKIから翻訳出版されていたからです。

記憶に寄れば、出版の順序は、最初が『羊をめぐる冒険』、それから『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』と続いたと思います。今ではそれらの本はすべて、クノップフのヴィンテージから出ていますが、オリジナルの版元はKIでした。当時のアメリカ人スタッフの中心だったエルマー・ルークは熱心な編集者で、個人的にも仲良くなったし、ほかにもとても有能な人材が揃っていました。だから彼らと一緒に仕事をするのはずいぶん楽しかった。

KIから出版された僕の小説は、批評的にはそれなりに成功を収めたと思うのですが、正直なところ営業的には今ひとつでした。KIはもちろん一生懸命がんばってくれたのですが、アメリカのマーケットの壁は、新参の出版社にはやはり厚かったということなのでしょう。しかし当時のKIには「いつかブレークスルーしてやろう」というポジティブな気概があって、僕はそういう明るい雰囲気がわりに好きだった。たぶん日本という国全体に、いろんな意味で熱気があったのだと思います。

僕自身はその後、いろんな事情があってアメリカでの出版社をクノップフに変えましたが、KIでみんなと一緒に「ブレークスルー」を目指して仕事をした何年間かを、とても懐かしく記憶しています。まだ若かった時代の思い出です。

御社のこれからの更なる発展を祈っています。時代が変化しても、いつまでもポジティブな気概を失わないでほしいです。

 

パーティーの模様

パーティーの模様

(2016年10月15日号掲載)

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