格闘技は自分を一つの形にまとめてくれた
米国の格闘技界のみならず日本でもその名が知られる伝説の柔術家、ヘンゾ・グレイシーから初めて黒帯を授かった日本人がニューヨークにいる。山地大輔―。現役の格闘家の傍ら、ブルックリンにあるグレイシー道場(Renzo Gracie Fight Academy)で指導者としても活動している。
グレイシー道場で指導者
16歳で渡米するまで、日本では極真空手の選手だった。その頃、総合格闘技は日本になく、米国で友達から見せてもらったビデオを見て驚く。映っていたのは総合格闘技がメジャースポーツとなっていくきっかけとなった総合格闘技イベント「UFC」(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)の試合。「こんなものがあるのか―」と、ニューヨークのグレイシー道場の門を叩いたのが22歳のころだった。
「当時はちょうどヘンゾが日本人と試合をし始めたころだったので、おまえ、スパイか? と疑われました」と笑う。当時は日本人が道場を訪れること自体が珍しかった時代。それ以降、約13年にわたり道場生として選手活動やトレーニングを続けた後、3年前から自身も指導者に就任した。
「ヘンゾは考えていることのスケールが大きい。そして人としても大きいですね」
山地が入門したころの道場生は約80人。現在はマンハッタンだけで2000人以上が在籍する。ここまで大きくなってきた道程を山地はずっと見てきた。セレブが柔術に興味を持ったことで入門希望者が増えたり、ヘンゾが試合に負けると道場生が減ったり。紆余(うよ)曲折があったが、「それもヘンゾの計算の範囲だったんだろうなって今になって分かります。僕のような外国人を社員としてわざわざ雇用することも躊躇(ちゅうちょ)しない、オープンな人でもありますね」
ヘンゾが作り出す道場内の空気で、すぐに仲間とも打ち解けた。相談にもすぐに乗ってくれたお陰で「壁を乗り越えられないようなことは無かった」という。
うれしいのは、道場生が強くなってくれた時。ニューヨークの道場は多国籍。道場生は、国によって常識だけでなく、身体的な特徴や取り組む姿勢までもが違う。それでも、「やっぱり最後は“個人差”なんですよ。どこの国というより、その人それぞれで強くなるかどうかは決まってきます」。
現役選手として試合に対する恐怖は無いかと問うと「恐怖は、人間にとって必要な感情だと思うんですね。怖くなければ練習をしなくなる。でも、怖さに飲み込まれているだけだと、そこで終わる。怖さも利用していくんです」と言い切る。
選手として、指導者として、山地にとっての格闘技とは。「自分という人間を形にまとめてくれたのが格闘技なんです。散らばっていたものが格闘技でいろいろ学んだことによって、一つにまとまったと思っているんです」(敬称略)
Renzo Gracie Fight Academy(100 Bayard St, Brooklyn)の詳細は718-704-0631まで。
(2014年12月13日号掲載)