TICグループ 八木秀峰社長に聞く 米国でのビジネスの“秘けつ”

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〝郷に従い〟ながら仲間と共に歩むことが本当に大事

「アウトスタンディング50」受賞

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(左から)ニューヨーク日系人会会長のスーザン大沼氏、TICグループの八木秀峰社長、Pinnacle Awardを受賞した日系三世のPhyllis J.Campbel氏(提供写真)

日系レストランが軒を連ねるイーストビレッジ9ストリート付近。このエリアの飲食店「茶庵」「蕎麦屋」「しゃぶ辰」などを束ねるのがTICグループの八木秀峰社長。現在、ニューヨークで13の日系飲食店を経営している。今年6月18日、アジアン・アメリカン・ビジネス・デベロップメントセンター(AABDC)が全米で活動するアジア系米国人の業績をたたえ表彰する「アウトスタンディング50」に選出され「アジアン・アメリカン・イン・ビジネス賞」を受賞した八木社長に、ビジネスを成功させた軌跡などを伺った。
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1948年生まれの八木社長は戦後の激動期に育った。米国の映画やドラマが続々と入ってきた時代でもあり「アメリカに憧れ、いつか行くぞと心に決めて、海の向こうを眺めていました」と話す。意外にも、そのきっかけとなったのは大学受験の失敗だという。友人の早朝アルバイトを手伝い、入学試験に遅刻したのだ。すぐに気持ちを切り替え、米国に渡る準備をスタートした。こうして念願の米国生活を始めるも、その後は七転び八起き。飲食店を始めたのはボストンだったが、行き詰まるとニューヨークで八百屋を開業した。失敗しても、常に先を考え行動に移して乗り切ってきた。
イーストビレッジに日本文化がここまで根付いた理由を、地域コミュニティーの人たちと共に歩んできたからと振り返る。「若い方には、お金だけ持ってきてもビジネスはうまくいかないことを知ってほしい」と話す八木社長。自身もイーストビレッジに居を構え、地域の人々と共に生活し、その一員になっていった。地元警察や住民団体、教会などと相談し、イーストビレッジで日本祭りを開催したことも。住み始めた当初は殺人事件も起こる荒れた地区だったが、瞬く間に発展した。同じ夢を持つ日本人実業家たちとも励まし合ってきた。「地味で時間が掛かるけれども、たくさん会話をして“郷に従い”ながら仲間と共に歩むことが本当に大事です」
「将来はリーダーとなって人の役に立つ仕事をしなさい」と母に言われながら育った八木社長。達成したように見える夢はまだ続く。次の目標は「米吉(よねきち)」のライスバーガーを日本に持ち込み、米離れが進む日本の子供たちに喜んでもらうこと。八木社長がつなぐ日米の橋はますます発展していきそうだ。
【ウェブ】TICグループ www.tic-nyc.com/
(「WEEKLY Biz」(ニューヨーク)2015年7月25日号掲載)

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