〈コラム〉中川扶二夫 「逃げない、がKeyword」第4回

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ビジネスにチャレンジする勇気

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生前のロッキー青木さん(左)と、奥さま

1958年に驚くものが生まれました。それは私です(笑)。冗談はさておき、それは世界初の即席麺「チキンラーメン」。当時48歳の安藤百福さんが創り、同時に日清食品を創業。その後61歳の時にまたしても世界初のカップ麺「カップヌードル」を開発しました。2007年1月5日に96歳で亡くなられる前日には社員全員に新年の訓示を30分されました。最後までお元気にお仕事をされ、正に「ピンピンコロリ」のお手本です。54歳の私も、何か新しいことにチャレンジする勇気が湧いてきました。
チャレンジャーと言えば、ニューヨークには有名な日本人チャレンジャー「ロッキー青木」氏がいらっしゃいました。ロッキーさんには生前懇意にしていただき、何度かご自宅へお邪魔したのですが、彼の口癖は、「人生死ぬまでチャレンジ」。実業家であり冒険家。プライベートでは3度の結婚、数人のお子様を平等に裕福に(笑)お育てになり、ガス気球で太平洋横断に成功したと思えば、パワーボートで大事故に遭って200カ所以上の骨折、内臓破裂の重症を負った事もありました。

ロッキーさんに「死ぬことが怖くないのですか」と聞いた事があります。すると「怖くないよ。死ぬことを怖がることは、生きることを怖がるのと同じだから」と。
私は単なる経営者なので、仕事場では肉体的な生死をかけた戦いなどありませんが、この答えに経営者としてビジネスにチャレンジする勇気が出ました。あの時私に生きることを怖がるなと言ったのは、人生においてリスクを怖がる事はリターンを怖がる事であり、リスク無しでハイリターンがあるような都合の良い事は存在しない、と伝えたかったのでしょう。ロッキーさんとお会いするたびに、彼のようなダイナミックな生き方に憧れたものです。
(次回は6月15日号掲載)

〈プロフNakagawaィル〉 中川扶二夫(な かがわふじお) 広島県出身。1988年にニューヨークに一人で渡り起業。在ニューヨーク25年。この間にアムネットをはじめ八つの会社(18拠点)を日米で立ち上げる。成功よりも失敗を肥やしに独自の「家族型経営」が世界で通用するかをチャレンジしている。現在、異業種進出を含め、アジア、南米、欧州へ の進出を計画中。

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