母の体験が性格に浸透して今の私がある
昨年、そろそろ私の半生のことをまとめて、娘に渡すことを考え始めても良いのかもしれないと思い始めました。母が亡くなったからかもしれません。「少なくても90までは生きたいかしら、できたら100まで」などと言っていたので、もっと長生きするかと思っていたのですが、実際には心筋梗塞で82歳でパッと亡くなってしまいました。寝たきりにはなりたくないと言っていたので、これが本望だったのかもしれません。
ある時私がNYの自宅で電話をしていたら、全く別の方との会話の途中なのに母からの「もう行っちゃうから最後に話したい」というとても強い念が来た気がして、私は焦って電話を切って、すぐに日本の母に電話を掛けました。するとその後15分で亡くなってしまったのです。この年は母がなぜか私に「もっと電話を掛けて」と頼んで来たので、気になってもいたのです。「娘にもう少し電話してくれるように言ってください」と人を通して伝えてきたりして、何かがあるような気がしていました。最期に呼んでくれたんだなと思いました。
母のことを色々考えていて、子供の頃のことをよく話してくれたな、と思い出しました。祖父(母の父)が満州鉄道に勤めていたので、母は満州のいろんな場所に転勤で引っ越しました。幼稚園の時は白城主というすごく北の方の田舎におりましたが、誰も遊び相手がいなかったのだそうです。やぶみたいなところに一人で入っていったらイノシシが居たり、水たまりがあって、その上を虫がスケートするみたいにスイスイしていたのを眺めた記憶が忘れられない、というような、なんでもない話まで、今でも覚えています。
母が言っていた色々なことは、自分の潜在意識の中に入っていて、知らないうちに、まるで自分もそれを見聞きしたかのようにビジュアル付きで記憶に残っています。知らないうちにこういうことが自分の性格に浸透していって、今の私があるのかなと思います。
(続く。次号=8月10日号=掲載予定)
かわの・さおり 1982年に和包丁や食器などのキッチンウエアを取り扱う光琳を設立。2006年米国レストラン関連業界に貢献することを目的に五絆(ゴハン)財団を設立。07年3月国連でNation To Nation NetworkのLeadership Awardを受賞。米国に住む日本人を代表する事業家として活躍の場を広げている。
(2019年8月3日号掲載)