親が思う「こうあるべき」は全部捨てて良いのかも
(前回からの続き)
母が「大丈夫」と言ってくれた記憶は私が娘を育てる上でも大きな助けになりました。
私が子供の頃何がありがたかったかというと、すぐ「よく頑張ってる、すごく偉い」って褒めてくれたことです。小学校4年生の時に通信簿が悪かったのですが、すると父も母も揃って先生がよく分かってない!と。これを聞いたときはすごい親だなと思ったものでした。「子供をもっとよく見て、育てる気持ちで教育しないといけない。先生が分かってないね」と言うので、子供ながらに私はびっくりして、すごい!と思ったのです。
55年も経っても忘れられません。これは親から受けた最大の愛情、最大のサポートだったと思います。まるまる受け入れてくれているんだなぁという、この気持ちがあったから今まで頑張って来られたのだと思います。
そういう親に私もなりたいって娘を産んだ時からずっと思っていて、勿論子育てには心配の種もいっぱいあるのだけれども、でも「いい子なんだからそれで十分。優しい性格なんだから、それ以上何も望む必要はない」って思うことができて。だから親子喧嘩もないんですよ。
私の娘は、喧嘩しなくても察してくれるんです。2歳くらいからすでに、いつもベビーシッターさんや他人にお世話になっているから、気遣いを身に付けたようです。学力よりも何よりも、人の気持ちを察するのは大事で、でもなかなか教えられないことですから、こういう感性が身に付いて本当に良かったと思っていて。ベビーシッターに預けてばかりの仕事で忙しい母親だったことにだいぶ罪悪感がありましたが、そのおかげでこんな風に育つとは、と驚きました。
親が思う、こういう環境がいいとか、こういう方法がいいとか、こうあるべきっていうものは、もう全部捨てて良いのかなと思いました。自分が「こうあるべき」を強く持ちすぎて、べきを前提に接すると子供にとっては迷惑というか、負担になるんじゃないかなぁと気付かされたました。小さくても親とは違う人格の人なのだから、自分を基準に育てすぎるのはどうかなぁと思います。
(次回は9月28日号掲載)
かわの・さおり 1982年に和包丁や食器などのキッチンウエアを取り扱う光琳を設立。2006年米国レストラン関連業界に貢献することを目的に五絆(ゴハン)財団を設立。07年3月国連でNation To Nation NetworkのLeadership Awardを受賞。米国に住む日本人を代表する事業家として活躍の場を広げている。
(2019年9月21日号掲載)