〈コラム〉強い違和感

0

倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第112回

産経新聞1面の読者投稿「朝晴れエッセー」をよく読む。気分が爽快になったり、しみじみ考えさせられたり…。6月25日は「小さな親切 大きなお世話?」と題した、大阪府豊中市の和田晃子さん(50)のエッセーだった。

彼女はスーパーへ歩いて向かう途中、三輪車に乗った小さな女の子が駄々をこね、おばあちゃんを困らせているのを見かける。二人は階段を上るのだが、女の子は三輪車から降りたがらない。「三輪車を上げるのを手伝いましょうか」と言いかけて、和田さんはハッと思いとどまった。──〈このソーシャルディスタンスが叫ばれる中、私の小さな親切は大きな迷惑になるかもしれない〉。そう思ったからだった。

さらに次のような場面も思い出した。トースターの修理で宅配業者が引き取りにきてくれたとき、段ボールに入れるのを手間取っていた業者の人を、近くで何かと手伝ったのである。親切心のつもりが、その人は〈ほっといてくれよ〉と思っていたかもしれない──。

緊急事態宣言は解除されたものの、他人とは一定の距離を保ち、必ずマスクを着け、向き合って食事をしないなど、「なんだか人と人のふれあいがなくなったようで寂しい」と彼女は言う。まったくその通りだ。政府はそうした注意を「新しい生活様式」とか「新しい日常」と呼んで奨励するが、筆者は強い違和感を覚える。

なぜなら、ソーシャルディスタンスとかマスクの着用など、そうした「ルール」(?)がなぜ必要なのか、明確な根拠が示されていないので、説得力を欠くからだ。離れる距離は2メートルがいいのか、1メートルではダメなのか、はっきりしない。マスクは風通しのよい屋外でも本当に必要なのか。コロナウイルスは空気感染しないのだから、どうも怪しい。

医療関係者が言うことにもムラがあって困る。新型コロナウイルスは未知の存在だからまだエビデンス(科学的根拠)が少ないとはいっても、感染症が発生してからもう半年は過ぎている。専門家といわれる人たちは何をしているのだろう。一度広めてしまった「ルール」は、簡単には修正などできず、一人歩きしてしまうのに。

ともかく生活様式とか日常とは、上から指示されて築かれるものではない。それがもっともふさわしい行為だと、自然に皆が馴染めば、習慣化していくのである。

先の「朝晴れエッセー」の和田さんは、息子さんを出産したとき、「たくさんの人に抱っこされればされるほど、その赤ちゃんは幸せになるのよ」と聞かされたとしてこう書いている。

 息子は、私の母や親戚や友達、どんなにたくさんの人に抱っこしてもらっただろう。その度に、かわいい息子を抱いてもらえる誇らしさとひと息つける解放感とで、どんなにうれしい気持ちになったことだろう。

 新型コロナウイルスと共存するための“新しい生活様式”で、大切なものが失われなければいいなあと心から願っている。

まったくもって同感である。

(次回は8月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

●過去一覧●

Share.