〈コラム〉生涯現役の秘訣

0

倫理研究所理事​長・丸山敏秋「風のゆくえ」 第118回

「マネージメントの発見者」と知られるピーター・ドラッカーは、2005年に95歳で亡くなるまで、生涯現役だった。80歳の来日時にインタビューを受け、溌剌としている秘訣を尋ねらるとこう答えた──「宝としているものが二つある。一つは日本、もう一つは『ファルスタッフ』だ」と。

『ファルスタッフ』とは、ウィリアム・シェイクスピアの喜劇を原作として、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)が作曲したオペラである。ドラッカーは音楽の都ウィーンに生まれ、親戚にも音楽家が多かった。ハンブルグで働いていた18歳の頃に『ファルスタッフ』を観て、全身が震えるほどの感動を覚えたという。

そのオペラはヴェルディが80歳のときに書いた最後の大作で、若きドラッカーはその年齢に驚嘆する。周囲を見渡しても、80歳まで矍鑠(かくしゃく)としている人は皆無だった。以来、いくつになっても挑戦し続けることが人生の目標の一つとなる。

かつてヴェルディは、ドイツのワーグナーとヨーロッパの音楽界を二分する名声を得ていた。2人は同年齢だが、ワーグナーは70歳で没する。高齢になったヴェルディに周囲は引退を勧めるが、「決して努力をやめない」と断った。「どれが最高の作品か?」と尋ねられると、「それは次の作品」と答えたという。

ニューヨークに在住していたピアニストのルース・スレンチェンスカさん(1925~)は伝説の巨匠である。ポーランド出身の父親から英才教育を受け、4歳でリサイタルを開き、ヨーロッパ各地を演奏して廻り、神童と讃えられる。当時のピアノ界の巨匠たちからレッスンを受け、9歳の時には急病で倒れたラフマニノフの代役をつとめ、コンサートを大成功させたという。

1961年にはジョン・F・ケネディ大統領の就任式後の演奏会でも腕前を披露。全世界で3000回を超えるコンサートを行い、12枚のゴールドディスク(LP)を出す。しかし40歳を前に体調を崩し、殺人的な興行の世界から身を引いて結婚。しかし、毎日8時間ピアノの前に座るという日課は変えなかった。

クラシックの音楽会からすっかり忘れ去られたスレンチェンスカさんを、現役のピアニストとしてカムバックさせたのが、筆者の知人、岡山市の歯科医でチェリストの三船文彰氏だった。2003年に78歳の彼女を日本に招き、それから幾度も公演を重ねる。円熟の極みの演奏はCDに収録され、ささやかに発売された。

2018年4月には、東京のサントリーホールでリサイタルが開かれ、大ホールがほぼ埋め尽くされた。三船氏から招待されて馳せ参じた筆者は、93歳の老ピアニストの奏でる音色に包まれながら、幾度も目頭が熱くなった。

スレンチェンスカさんはとても小さな体で、まるで小学生のように手掌も小さい。なのに大柄な男性ピアニストでも大変な難曲を楽々と弾きこなす。それは、毎日の長時間の練習のたまものにほかならない。

彼女は「今までで最高の演奏は?」と問われると、かならずこう答えてきた──「それは、次回の演奏よ」と。(次回は2月第2週号掲載)

〈プロフィル〉 丸山敏秋(まるやま・としあき) 1953年、東京都に生まれる。筑波大学大学院哲学思想研究科修了(文学博士)。社団法人倫理研究所理事長。著書に『「いのち」とつながる喜び』(講談社)、『ともに生きる』(倫理研究所)など多数。

●過去一覧●

Share.